5. 飴とハリセン


 子供を躾けるには「飴と鞭」が不可欠だが、彼の場合はさしずめ「飴とハリセン」だろう。
 口を開けば「煩い」とか「死ね」とか「殺す」とかいう言葉が出てくるような人が、あの子供の保護者役をしていると知ったとき、ちょっと意外な感じがした。
 何事にも揺るがない強い精神。その凛とした姿は見る者を惹きつけるが、保護者となると、必要なのはそういった魅力ではない。
 ハリセンを振るうタイミングは見事なものだったが、怒るだけでは子供は萎縮してしまう。適度に甘やかしてあげることも必要だが、彼の普段の態度から、そんなことができるなんて想像できなかった。
 だから大丈夫だろうかとちょっと心配もしたが、まぁ結局、的外れだった。
 それがわかったのは出会って間もない頃だった。
 その日、大量のお菓子を持って、寺院を訪ねた。寺院の門をくぐると、どこで見ていたのか、悟空が走り寄ってきた。
「八戒! 久しぶり!」
 何をして遊んでいたのか、泥んこだ。そういえば、自分は子供の頃でもこんな風に泥んこになって遊んだことはなかったな、と思った。
「お久しぶりです。はい、お土産」
 そう言って紙袋を手渡すと、輝くような笑みが浮かんだ。気のせいか、パタパタと見えない尻尾が振られているような気がする。
「ありがと!」
 そこに、三蔵が通りかかった。半歩後ろに老僧がいて何やら話しかけ、さらに二、三歩後ろに若い僧が三人、控えるようについていた。
 会釈をすると、軽く視線で返された。それだけでもたいしたものらしく、若い僧達はちょっと驚きの目でこちらを見た。
 と、三蔵が向きを変え、スタスタとこちらに歩いてきた。
「あ、さんぞー」
 袋の中を物色していた悟空は、近付いてくる三蔵に気がついてにこっと笑った。その頭にいきなりハリセンが振り下ろされた。
「手を洗ってからにしろ」
 頭を押さえて見上げる悟空に三蔵は言った。悟空はちょっと涙目なっている。そこまで強く叩かなくても、と同情したが、悟空は素直に頷いた。
「ちゃんと礼は言ったか」
「うん」
 保護者らしいことを言ってから、三蔵はこちらを向いた。
「話があるから、ちょっとその猿の相手でもして待っててくれ」
「わかりました」
 そう言って、じゃあ行きましょうかと悟空の方を見た途端、悟空はいきなり近くの木に向かって走り出した。何事かと追っていくと、木の根元に鳥の死骸が転がっているのが見えた。特に外傷も見あたらなく、綺麗と言ってもいいくらいだったが、死んでいるのはひと目で見てとれた。
「悟空?」
 悟空は死骸を見つめたまま、微動だにしない。
「怖いんですか?」
 いくら何でもそれはないだろうと思いつつ聞いてみる。だが、答えはない。さすがに変に思って、悟空の顔を覗きこんで驚いた。
 そこに浮かんでいたのは、何という表情だったろう。絶望、恐怖、苦悩、悲哀。その全てかもしれなかった。こんな表情をこの子供ができるとは思ってもみなかった。
 かける言葉を失って、呆然とそのそばに立ちつくした。
「悟空」
 と、突然、後ろから声がした。悟空がぱっと振り返った。三蔵だった。
 悟空は無言でその胸に飛び込んだ。
 若い僧が声をあげようとしたが、三蔵が目で制した。老僧が少し微笑んでから目礼をし、僧達を促してその場を去った。
 三蔵は何も言わず、法衣が泥で汚れるのも構わずに、ゆっくりと落ち着かせるように悟空の頭を撫でていた。
 わずかに伏目がちのその清麗な横顔は、子供の頃に施設で見た聖母の像を思い出させた。
 やがて、落ち着いたのか、悟空が顔をあげた。
「ありがと、三蔵」
 悟空はそう言って、その日見せた中で一番綺麗な笑顔を浮かべた。
 その瞬間、自分が考えていたことが取り越し苦労だとわかった。
 結局、この子供にはこの保護者が必要なのだ。
 胸の中に暖かいものが溢れた。