10. 甘えたい時だってある


 西への旅から帰ってきて、初めての俺の誕生日。久々に悟浄と八戒が寺院に来ることになった。
 先に悟浄だけがやってきて、「お前もすっかり大人になったな」とか言われて、頭をぐりぐりと撫でられた。
 ってゆーか、それ、子供扱いだし。
 逃げたら、捕まえられて、今度はゲンコで頭をぐりぐりされた。まったく、そーゆーとこは全然変わってない。しばらく顔を合わせなった時間が一気に縮まった。
 と、扉がノックされた。八戒だと思って、勢いよく開けた。
 久しぶりっていう言葉が途中で止まった。だって、八戒が血まみれで立っていたから。
 八戒は俺の顔をみると、優しく微笑んで、そのままふっと気を失った。俺は慌てて倒れかかってきた体を支えた。
 三蔵がすぐに立ち上がって、医者とか部屋とかの手配をしてくれた。
 血はほとんど返り血だったけど、ひとつだけ、肩から背中にかけての傷が少し深かった。
 いっつもにこにこ笑っているけど、八戒は強い。普段は気孔砲とかいうのをぶっ放してるけど、体術だけでもかなり使える。ガキの頃、攻撃を受け止められてワクワクしたの、覚えている。その頃、本気だしても大丈夫な奴なんていなかったから。
 一体何があったんだろう。
 そう思って端正な顔を見つめていたら、八戒が目を覚ました。
「……悟空」
 俺の名を呼んで、それからゆっくりと室内を見回す。
「三蔵と悟浄なら外。怪我人のいる部屋でさすがに煙草は吸えないからって」
 そう言ってから、あんまりにも薄情な気がして
「医者が八戒の怪我は大丈夫だって言ってたから。背中の傷は治るのにちょっと時間がかかるみたいだけど、命にかかわるようなモンじゃないって。二人とも安心したんじゃないかな」
 と付け加えた。
 八戒は穏やかな笑みを浮かべた。それから、何か言おうとする素振りを見せたが、笑顔のまま俺から視線を外した。
 そして、そのまま、二人してなんとなく沈黙する。
「えっと。八戒、俺に何か言いたいことがあるんじゃない?」
 だけど、このまま黙っているのも気詰まりで、おずおずと聞いてみた。
 八戒が視線をあげた。綺麗な緑の目。三蔵の目も綺麗だけど、八戒の目も綺麗だと思う。
「悟空」
 俺は知らず知らずのうちに身構えた。
「誕生日、おめでとう」
「……ありがと」
 なんだか、肩すかしを食った気分になった。えっと、これは……。
 八戒はクスクスと声に出して笑った。
「悟空、もう良いですよ。悟浄を呼んできてください。どうせ、扉のすぐ外にいるでしょうから」
 ひとしきり笑った後で、八戒が言った。俺は「わかった」と言って、扉に向かった。扉を開けて……。
「……ゴメン……」
 と小さく呟いた。

 悟浄が部屋に入るのを見届けてから、寺院の庭に向かった。
 大きな桜の木の陰に三蔵がいた。
 桜は今が盛りと咲き誇り、柔らかな風に花びらが舞って、夢のように美しい。
 だけど、木の下にいる三蔵はそんな美しい桜を愛でるためにそこにいるのではなく、ただ単に、この木の陰が寺院から死角になるからそこにいるのだ。
 自身が綺麗な人は、あまり美しいものに執着を持たないものなのかもしれない。三蔵に限ってのことかもしれないけど。三蔵って、自分が綺麗なことにもあんまりこだわってないし。
 ふわっと抱きつく。煙草の香りがした。
 しばらくそのままの姿勢でいた。振り払われるわけでもなく、抱きしめてくれるわけでもなかった。三蔵は、ただ木に背を預けて、煙草を吸っていた。
「八戒は?」
 やがて、静かに三蔵が聞いてきた。
「ん。大丈夫だと思う。悟浄が見てる」
 三蔵の肩に額を押し付けて答える。
 やっぱり、この人のそばが一番安心できる。この人じゃなきゃ駄目だ。
 だけど、この人は今でも俺の手を離してもいいと思っている。俺が広い世界を望めば、いつでも笑って送り出してやろうと。
 俺はずっと三蔵がそんな風に考えていたことを知らなかったし、知ってからもどうして俺から離れていこうとするのかわからなかった。そう、俺は三蔵が俺から離れようとしているのかと思っていた。俺が三蔵から離れる自由を残そうとしてくれていたのに。
 だから、泣いて、拗ねて、困らせて、傷つけた。この人の奥にある優しさに気付かず。
 この人は優しい。
 不機嫌な表情や、無愛想な言動からは決してわからないだろうけど。
 初めて会ったときから、ずっと、ずっと、この人は優しい。
「おい、そろそろ離れろ」
 煙草を落として、足で踏み消す気配。俺は目を閉じたまま、首を横に振った。
「いいじゃん。ちょっとくらい。今日は、誕生日なんだし」
 ふっと、八戒の顔が浮かんだ。
「甘えたい時だってあるんだから」
 そう言ったら、背中に三蔵の手が回った。抱きしめてくれる。
 やっぱり、三蔵だって、思う。
 何を犠牲にしても、この人のそばにいたいと心から思った。