14. 唯一無二のコトバ


 ふと、夜気を感じて、目が覚めた。
 三蔵?
 辺りを見回す。中天に月。眼下には深い森。切り立った崖の中腹、少し開けたところ。すぐに山肌にぶつかって、捜す場所などたかがしれている。
 目が届く範囲には誰もいない。静かな夜が広がっているほかは、人の気配もまったくない。
 起き上がると、するりとくるまれていた布が落ちた。
 三蔵の法衣。
 どこ、三蔵?
 急に心細くなる。
 たった一人、夜に取り残されて。
 さっきまで包まれていた温もり。ずっと感じていた熱い肌。
 あれは。
 あれは、幻――?
 もしかして、夢を、見ているのだろうか。
 本当は、ずっとあの岩牢の中にいて。
 目を覚ませば、誰もいない。
 三蔵が来て、連れ出してくれて。広い世界をくれて。
 その腕に包まれて、ひとつに溶けあって。
 あれは、全部、夢で。
 誰もいない、この目の前の光景が、現実――。
「三蔵っ!」
 名前を呼んで、立ち上がる。
 嫌だ。そんなのは、嫌だ。
 絶対にいる。三蔵は、絶対にいる。
「三蔵、三蔵、三蔵っ!」
 だって、あの綺麗な紫暗の瞳も、輝く金色の髪も。優しいキスをくれる唇も、柔らかく触れてくる指も、強く抱きしめてくれる腕も。
 全部、幻だったら。
 この身が覚えているその感覚が、もう二度と与えられることがないのだとしたら。
 もう、生きてはいけない。
「三蔵ぉっ!」
 必死の呼びかけに答えはない。
 なんで?
 呼べば、応えてくれたのに。ずっと、変わらずにそばにいてくれたのに。
「……煩せぇよ、お前」
 絶望の淵に沈みこむその刹那、三蔵の声がした。
「三蔵っ!」
 走り寄って、その胸に飛び込んだ。
「お前、そんな格好のままで――」
「どこ、行ってたの? 夢かと……三蔵がいないんじゃないかと……」
 ぎゅっと抱きしめる。三蔵が本当にいるんだと確かめるように。その存在を全身で感じられるように。
「後始末。しとかないと、ツライのはお前の方だろうが」
 三蔵の言葉に顔をあげる。気がつくと、三蔵は手に水とタオルを持っていた。
「まだ、置いていかれるとか、捨てられるとか思っているのか?」
 静かに三蔵が聞いている。
「だって、三蔵は何も言ってくれない」
「置いていかねぇと、何度も言っているじゃないか」
「違う。そうじゃなくて」
 こういう関係になったけど。
 特別なコトバを三蔵が言ってくれたわけではない。
 だから、時々、凄く不安になる。
 俺は三蔵の何なの――?
 被保護者とか、ペットとか。何でも構わなかった。三蔵のそばにいれるなら。
 でも。
「……ごめん、何でもない」
 黙ってしまった三蔵の胸に顔を埋める。
 わかってる。
 そんなことを言っても困らせるだけ。こうやって、触れていられるだけでも特別なこと。他の人よりも心を許してくれていることも、ちゃんとわかっている。
 それでも。
 コトバのないこの関係。
 一度、知ってしまった特別な温もりが、いつか与えられなくなるかもしれないのが、とても怖い。
「悟空」
 呼ばれて、三蔵を見あげる。そっと、三蔵の口が耳元に近づいてきた。
 囁かれた言葉。
 それに驚く。
「さ……んぞ……?」
 見あげる三蔵の顔。そこに浮かぶ表情は、先程のコトバが嘘じゃないと語っていた。
 ずっと欲しかった唯一無二のコトバ。
 嬉しいはずなのに、涙が溢れてきた。