19. 昔々・・・


 満開の桜の下に立っていると、幼い声が聞こえてきそうな気がした。
「こーんぜーん」
 そう呼ぶ声。相手を信頼しきった輝くような笑顔。
 呼ばれた青年が金色の髪を揺らして振り返る。普段の様子からは、想像もつかないような優しい色がその紫暗の目に浮かんでいる。
 それは、穏やかな春の一日。追憶の中にだけ存在する、失われた楽園の風景。
 そう、思っていた。
 だけど、地上に目を向ければ。
「さんぞー」
 髪が短くなり、背は伸びたけれど、変わらぬ笑顔を浮かべる子供がいる。それに答える青年も。
 永遠ならぬ人の子でも、永遠と呼べるものを持てるかもしれないと思わせるその絆。
 そして、限りある生を燃やすように、常に前へ前へと進んでいく姿は、全ての者を惹きつける強烈な光を放つ。
「どうかしたか?」
 声をかけられて、深い思考の淵から浮上する。見ると、『注げ』とでもいうように杯が目の前に差し出されていた。
 苦笑しつつ、杯を満たす。
「金蝉童子のことを考えておりました」
「あぁ」
「あまり変わられませんな」
「あいつらにそんなことを言っても無駄だろうがな」
 そう、彼らには天界にいたときの記憶はない。
 語って聞かせたところで、きっと一笑に付されるだけだろう。
 彼らにとって、今、生きているこの時だけが全てだから。前世など意味のないものだとあっさり切り捨てるだろう。
 第一、その最期は決して幸せだとは言えなかったのだから。
 だが、こんな穏やかな春の日には思い出す。あの出来事のなかにも、確かに心温まる優しい時間があったことを。
 昔々……。
 それは、神のみが知る物語。