21. これだから目が離せない


 慶雲院。東方一を誇るこの寺院は、庭も広大です。小坊主の仕事には、当然ながらその庭を常に綺麗にしておくことも含まれていました。極めて骨の折れる仕事ですが、これも修行の一部です。
 秋は他の季節に比べて、特にたいへんでした。掃いても掃いてもすぐに木の葉が降り積もるのですから。
 そんなある秋の日のこと。いつものように箒を片手に庭を巡っていますと、一本だけ、風もないのに色づいた葉をはらはらとたくさん落としている木がありました。
 なんだろうと不思議に思い、近付いてみますと、根元で悟空さんが寝ていました。
 降り積もった木の葉の中に埋って、まるでみのむしのようです。
 正直に言って、悟空さんに対しては、あまり良い感情は持っていませんでした。
 遊んでばかりいる悟空さんが羨ましい、というのではありません。この寺院に入ったときから厳しい修行は覚悟の上でしたから。
 悟空さんが、ただ養い子というだけで、弟子でもないのに三蔵さまの一番近くにいることが面白くなかったのです。普通なら悟空さんなんて、三蔵さまのそばに寄るどころかそのお姿を拝見することすら叶わないはずなのに。
 とはいえ、風邪でもひかれたら、こちらの仕事が増えてしまいます。
「悟空さん」
 そばに屈みこんで、呼んでみました。でも、全然反応がありません。
「ごく……」
 もう一度、今度は大きな声で呼んでみようとしましたが、途中で木の葉が落ちてきて、口に貼りつきました。まるで、気持ちよく寝ている悟空さんを起こすのを邪魔するかのように。
 そういえば、悟空さんは大地から生まれた、という話を聞いたことがありました。今まで信じていませんでしたが、それが本当だとすると、一部の人たちが言っているような残虐な妖怪というよりも、もっと自然に近い存在なのかもしれません。
 大地の子供を守るかのように葉を散らす木を見上げて、そう思いました。
「このままじゃ、風邪をひくから」
 誰に断るわけでもなくそう呟いて、今度はちょっと肩を揺すってみました。あどけない顔がちょっと歪みましたが、起きる気配はありません。
 さてどうしようか、と思案していると、急に影がさしました。そして……。
 スッパーン。
 非常に良い音が辺りに響き渡りました。
「いってぇ〜〜」
 悟空さんが跳ね起きました。
 びっくりして見上げると、ハリセンを肩に担いだ三蔵さまが仁王立ちになっていました。
「その猿を起こすときには、これくらいのことはしろ」
 そしてそう言うと、さっさと踵を返されました。
「待ってよ、三蔵!」
 悟空さんが慌てたように三蔵さまの後を追っていきました。
 呆然と二人を見送りながら、先程の言葉が自分に向けられたものだということに今さらながらに気がつきました。
 三蔵さまがお声をかけてくださった――。
 なんだが、胸がいっぱいになりました。

 三蔵さまの私室にお食事を届けるのも小坊主の仕事です。三蔵さまはどんなにお忙しくても、寺院にいる限りは悟空さんと食事をします。ですから、お食事はもれなく悟空さんの分もついてくるので、二人で運びます。
 いつもならば、そんな『特別扱い』をされている悟空さんに対する嫉妬の念もあって、面倒、と思うところですが、昼間、悟空さんのあどけない寝顔を見ているうちに、そんな負の気持ちは綺麗さっぱり消えてしまったのか、今日は特になんとも思いませんでした。
 お部屋にうかがうと、なんだが悟空さんの様子がヘンでした。
 頬を上気させ、にこにこと笑いながら、三蔵さまの腕にしがみつき、なにやら楽しそうに話をしています。それから腕を離し、その辺を駆け回ったと思ったら、椅子に座った三蔵さまに背後から抱きついて豪華な金髪に顔を埋め、それからまたその辺を駆け回り……。
「下げるときに風邪薬を持ってきてくれ」
 いつにもまして三蔵さまに甘えかかる悟空さんの態度に動揺しつつも、どうにか配膳を終えると、三蔵さまに声をかけられました。
 どうやら悟空さんは風邪をひいて、ちょっとハイになっているようです。
「いい加減にしろ、猿! 大人しくしないのなら、メシ抜きでベッドにいれるぞ!」
 お部屋を辞去するときに、三蔵さまの怒号が聞こえてきました。
 
 食事が終わった頃を見計らって、食器をさげにまた三蔵さまのお部屋に向かいました。手にはしっかりと風邪薬と水を持っています。
 ノックをすると、遠くの方から返事がしました。
 中に入ると、食事をしていた部屋には三蔵さまはいらっしゃらず、呼ばれて声を辿っていくと、寝室にいらっしゃいました。
 三蔵さまはベッドに腰掛け、その膝の上には悟空さんの頭が……。
 どうやら、そのまま眠ってしまったようです。昼間と同じようにあどけない顔には幸せそうな表情も浮かんでいました。
 二人が一緒にいる姿を見て、なんだか嬉しいようなワクワクするような気持ちになりました。
 そして、そう思っている自分に気付いてびっくりしました。
 どういう心境の変化でしょう。
 なんだがわけもなくあせりつつ、薬と水を渡すと、食器を片付けに引き返しました。
 そそくさと退出し扉を閉めると、一緒に来ていた配膳係の先輩がぼそっと呟きました。
「これだから目が離せない」
 まったくだ、と思いました。