25. 大福事件


 書類の最後の一枚を文箱に落として、三蔵は大きく息をつくと伸びをした。まったく、机に向かってばかりだと体が固まってしまう。だが、それも今日はおしまいだ。意外に早く仕事が片付いて、三蔵の機嫌はすこぶる良かった。
「さんぞー、仕事、終わった?」
 ノックもせずに悟空が顔を覗かせた。煩く言い聞かせているが、悟空は時々ノックをするのを忘れる。不思議と三蔵の機嫌の良いときで、三蔵の機嫌の悪いときや仕事が忙しいときにはそもそも執務室には近付かない。
「ノックぐらいしろ」
「ごめんなさい」
 悟空はお盆をささげ持ち、とことこと机まで歩いてくると、三蔵の前にお茶とお菓子を並べた。
「ごくろーさま。今日のお菓子は伊勢屋さんのスペシャル大福だよ」
 先程の叱責などどこ吹く風と言った様子で、にこにこと笑って悟空が言う。三蔵は机の上に置かれた大福を一瞥すると、お茶に手を伸ばして言った。
「お前が食え」
「え? 駄目だよ。これ、三蔵用にトクベツに作ってもらったんだもん。えっと、甘さ控えめで上品な味、とかいうの。三蔵、和菓子なら食べるでしょ?」
「お前、腹でも壊しているのか?」
 いつもならば「わーい」とか言って、遠慮もせずに食べているはずだ。
「違うよ。だって、三蔵、このとこ、ずーっと仕事だったでしょ。疲れには甘いものがいいって八戒が言ってたから」
 悟空は最近知り合ったばかりの青年の名を口にした。
「別にそんなに疲れてない」
 素っ気ない答えに悟空は少し困った顔をした。それから、お盆を机の端に置くと、三蔵の膝の上に、向かい合う形で乗っかった。
「……おい」
「やっぱり、ちょっと疲れた顔してるよ」
 三蔵が眉をひそめても意に介さず、悟空は三蔵の顔を覗きこんで言った。
「重てぇよ。降りろ」
「ヤダ」
 即座に却下されて、三蔵はちょっとムッとして悟空を見返した。
「だって、このとこ、ずーっと三蔵の顔をちゃんと良く見てないモン」
 そういえば、忙しすぎて、一緒に食べる習慣になっている食事の時も上の空だったかもしれない。
「やっぱ、三蔵って綺麗だよな」
 悟空はそう言うと、花がほころぶような笑顔を見せた。綺麗なのはその笑顔の方だろう、と三蔵は思ったが口には出さず、かわりにため息をついた。
「ね、三蔵。これ、一口だけでも食べてみて?」
 悟空は、大福を取りあげて言った。
「伊勢屋さんのご主人が三蔵さまのためならって、スッゴク張り切って作ってくれたんだよ」
 悟空は三蔵の口元に大福を持っていった。そして、あどけない笑顔を見せながら言った。
「はい、あーんして」
 三蔵は、その言葉につられるように口をあけた。ぱくっと一口食べたとき、ノックの音がした。答えを待たずに扉が開かれた。
「よぅ……って、お前ら、ナニしてるの?」
 入ってきたのは、悟浄と八戒。それに、書類を取りに来たらしい小坊主。
「あ、悟浄、八戒。いらっしゃい」
 悟空は無邪気に答えたが、最高僧さまは額に怒りのマークを浮き上がらせた。
「勝手に入るな! 返事を待ってから開けろ!」
 小銃が火を噴いた。

 ――三蔵さまのお膝に乗った悟空さんが三蔵さまに大福を食べさせてあげている。
 それは『大福事件』と呼ばれ、慶雲院に代々語り継がれる伝説となった。
 ちなみに、一部に異様ともいえる盛り上がりがあったことを付記しておく。