26. 何処まで行っても平行線


「なぁ、八戒。『へーこーせん』って何?」
 珍しく一人で悟浄宅にやってきた悟空は、八戒特製の手作りお菓子を幸せそうに頬張りながら訊いた。
「平行線ですか?」
 どうしてそんな言葉が突然出てくるのか不思議に思いつつも、八戒はその辺にあったチラシの裏に二本の線を引いた。
「こんな風に、二本の線が並んでいていることですよ」
 その図形を悟空は「む〜〜」とうなって見つめた。
「平行線がどうかしたんですか?」
「三蔵が、今日の朝、『へーこーせん』って言ってたから。でも、二本の線ってどういうことだろ。」
「あぁ。それはこういうことじゃないですか。平行線っていうのは、何処まで伸ばして書いていってもこの二本の線がぶつかることはないんですよ」
 三蔵の口から出たのならば、算数的な平行線ではないだろうと思い当たって、八戒はそう言いながら先ほどのチラシの二本の線を延長させた。
「へぇ。そう言えば『どこまでいってもへーこーせん』って言ってた」
「やっぱり、そうですか。それは、こんな風に二本の線がぶつかることがないみたいに意見が合わない――つまり、二人の人が仲良くできないときに言うんですよ」
「仲良くできない……」
 なるべくわかり易い言葉を使おうと思っての説明だったが、どうやらあまり良くない例えだったらしい。悟空の顔がたちまち曇ったのを見て、八戒は後悔した。
「俺、帰るね」
 紙を掴んで、するりと悟空は椅子から降りた。
「あ、悟空!」
 呼び止める八戒の声を背に、悟空は悟浄宅を飛び出した。

 寺院の自分の部屋で、悟空は一人、先ほどの紙をじっと見つめていた。
 頭の中を、今朝聞いた三蔵の言葉がまわっていた。
 ――俺とお前じゃ、何処まで行っても平行線なんだよ。
 それは、三蔵とはいつまでたっても仲良くなれないということ?
 穴の開くほど紙を見つめていた悟空は、ふとあることに気が付いた。

 執務室で、三蔵はため息をついた。一昨日から書類の不備や不手際で全然仕事がはかどっていない。今朝はあまりにもイラついていたので、悟空にあたるようなことを言ってしまった。ま、意味がわかっていなかったみたいだが。
 トントン。
 控えめに扉がノックされた。答えると、悟空が顔を覗かせた。
「すぐに出て行くから、ちょっとだけ、いい?」
「……なんだ?」
 いつもならば追い返すところだが、悟空のすがりつくような目に負けて三蔵は訊いた。悟空の顔がぱっと輝いた。
「あのね、これ」
 そう言って近寄ってきた悟空は手にした紙を見せた。先ほど八戒が書いた『平行線』だ。
「この二本の線、どこまで行っても仲良くなれないって……」
 今朝、悟空に言った言葉だとわかった。先ほどのすがりつくような目は、その意味を知ったからだろうと、三蔵は思った。何故か罪悪感のようなものが胸に押し寄せてきた。
「でも、こうすれば……」
 悟空はそういって、真ん中で紙をひねった。
 ひねれば、線は――。
「ね。だから、俺と三蔵も仲良くできるよね?」
 知らず知らずのうちに三蔵の顔に笑みが浮かんできた。
「バカ猿」
 三蔵は悟空の頭に手を伸ばし、くしゃっと髪の毛をかき混ぜた。
 悟空は嬉しそうに笑った。