30. ちょっと傷ついたかも


 説法から帰ってきた三蔵を迎えたのは、いつものごとく困りきった僧達だった。
「仏具を壊した」「庭木を折った」「手がつけられない」
 毎度の台詞に頭が痛くなる。なんだって、あの猿は大人しくしてられないのだが。
「たいへんですね」
 笑いを含んだ声がした。振り向くと、緑の目の青年と赤い髪の青年がいた。
「オラ、頼まれモン」
 悟浄がそう言って、紙袋を無造作に差し出した。
「意外に時間がかかったな」
 三蔵は同じく無造作に受け取ると、そばにいた僧に「三仏神との面会のときに持っていくから適当な箱にいれておけ」と言って渡した。受け取った僧は、紙袋を覗きこむとびっくりしたような表情になり、しっかりと抱えなおして一礼するとその場を立ち去った。
「おいおい、もうちょっとこーネギライの言葉があってもいいんじゃねぇ?」
 悟浄の言葉に三蔵はフンといった感じで何も答えず、執務室に向かう。
「悟空が迎えに出てこないなんて珍しいですね」
 三蔵の後をついていきながら、八戒が言った。
「いつもなら喜びいさんで出迎えるのにな。小猿ってより、仔犬って感じで」
「あぁ、あれ、可愛いですよね」
 にこにこと言う八戒の言葉に三蔵の足が止まった。
「……可愛い?」
「可愛くないですか? ね、悟浄もそう思うでしょう?」
「ま、微笑ましいわな。全身で『ご主人さま、大好き』って言ってるみたいで」
 二人は顔を見合わせて笑いあう。
「お前ら、さっきの文句の嵐を聞いてなかったのか?」
 三蔵が怒りを湛えた低い声で言った。
「毎度毎度騒ぎを引き起こしてくれて。僧達に文句を言われるこっちの身にもなれ」
「それくらい当然ですよ。こんな窮屈なところにあんな元気な子を閉じこめているんですから」
「そーそー。そんなに嫌なら、手離せば?」
「なんなら、ウチで預かりますよ」
 二人は笑顔を浮かべて三蔵を見た。三蔵は、くるりと背を向け、また歩き出した。
「仕方ねぇだろう。拾っちまったモンは」
 その背中を見ながら、二人は忍び笑いをたてた。

 仕方ない、か。
 悟空は寺院の裏山で膝を抱えた。三蔵が帰ってきたときに出迎えに行こうとしたのだが、僧達の文句の嵐に出鼻をくじかれてしまった。そして、その文句がやんだときには八戒と悟浄が現れて、出るタイミングを逸してしまった。その後そのまま、三蔵達の会話を聞くともなしに聞いていて。
 仕方ねぇだろう。
 その言葉が聞こえてきて、逃げ出した。
「なんだが、ちょっと傷ついたかも」
 呟く。と、本当に泣きたくなってきた。悟空は膝に顔を埋めた。
「何してるんだ、こんなところで」
 と、声がした。見上げると……。
「さんぞ」
 不機嫌な顔をした三蔵がいた。
「手間かけさすんじゃねぇよ。帰るぞ」
「三蔵!」
 さっさと寺院に戻ろうとする三蔵の背中に悟空は必死に呼びかけた。三蔵が振り返る。
「俺、邪魔?」
 目にうっすらと涙を浮かべて、悟空は問いかけた。答えをきくのが怖かった。だが、このまま三蔵に嫌な思いをさせているのはもっと嫌だった。
「八戒のトコに行った方がいいなら、そうする。そうするけど、でも、時々、顔を見にきてもいい? ちょっとだけ、でいいから。迷惑、かけないようにするから」
 大きな金色の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「お前、何を言ってる?」
「だって、三蔵、仕方ないからって。拾っちゃったから、仕方なく俺をそばに置いてるんだろ?」
 三蔵はため息をついた。
 どうやら、悟空が先程の会話を聞いていたらしいとわかった。だが、どうして八戒や悟浄にわかることが悟空にはわからないのだろう。
「お前、やっぱり猿頭だな」
 手離すことはいつでもできるのだ。それを『仕方ない』という言葉に代えて否定したというのに。
 三蔵は悟空のところまで引き返すと、涙を流す悟空の顔を法衣の袂で乱暴に拭いた。
「俺と帰るか、八戒のとこに行くか。選べ」
「だって、三蔵……」
「お前がどうしたいか、だ」
「そんなの、三蔵のそばにいたいに決まってるじゃないか!」
 また悟空の目に涙が溜まる。
「じゃあ、行くぞ」
 何事もなかったかのように三蔵が歩き出す。悟空は慌てて立ち上がると、その後を追った。
「三蔵、いいの? 俺、ここにいても?」
「俺は、嫌なヤツをそばに置いておけるほど、心が広かねぇよ」
「さんぞ……?」
「お前、ホントにバカだな」
 振り向きもせずに先を歩く三蔵に悟空は飛びついた。離れない、そんな思いを形にするかのように。