Bitter Sweet


 森の中に佇む小さな一軒家。
 大きな茶色の切妻屋根に白い外壁。木の枠組みが外に出て、それが装飾の代わりになっている。茶色と白のコントラストは森によく映え、だが融和して主張しすぎていない。
「うっわぁ、なんか可愛いっ」
 一目でその家を気に入った悟空は、嬉しそうな声をあげると、扉を開けてバタバタとなかに駆け込んだ。足が床を蹴るたびに、長い髪がぴょこぴょこと揺れる。それは尻尾のようで、全身で喜びを表しているところといい、まるで仔犬のようだった。
 玄関を入ってすぐがリビングで、その向こうにサンデッキが見える。
「わあぁっ」
 カラカラと音を立てて窓を開けて外に出てみれば、新緑が目に飛び込んできた。表からは木々が邪魔してあまりわからなかったが、家の裏手は斜面になっていて、サンデッキはそこに張り出すように造られていた。
 木々を揺らす風が気持ち良く通っていく。森の匂いを吸い込むように、悟空は大きく深呼吸をした。
 と、遠く、目線の下に水の煌めきが見えた。湖――いや、池だろうか。木々の間から一部が覗いているだけで全体は見えていないからなんともいえない。が、気になるのは、大きさよりもその色だった。
 青――なのだが、普通に水が持つ空の色を映した青ではなく、もっと深い色――前に一度、寺院への寄進物のなかに西の方の筆で万年筆とかいうものがあったが、それのインクの色によく似ていた。
 黒ではなく、濃い青色。
 遠くに見える水の煌めきはその万年筆のインクを溶かしこんだような色をしていた。といってもまさかわざわざそんなことをするとは思えない。とすると自然物のはずなのだが、でもひどく人工的に見える。なんだか不思議な心地がして、悟空は水の煌めきから目が離せなくなってしまった。
 が、後ろで足音が響いて、はっとして振り返る。足音は悟空のいるサンデッキではなく、横にそれて別の部屋に向かっているようだった。
「三蔵っ」
 扉の閉まる音に、慌てて悟空はなかにと引き返す。そしてリビンクから通じる部屋の扉を開けた。
 そこは寝室で、ベッドがふたつ並んでおり、片方のベッドのそばに三蔵がいた。荷物がその辺に放り投げられている。
 三蔵はいつもの法衣姿ではなく、シャツにジーンズといったありきたりの服装をしていた。が、目を引くことには変わりはなく、ここに来るまでの間に用もないのに何度となく話しかけられそうになり、そのたびに不機嫌な顔を向けるということを繰り返していた。
 不機嫌そうな顔は貼りついてしまったようで、もう悟空以外はだれもいないというのに眉間に皺を寄せたまま、三蔵はベッドの上掛けを捲り上げた。
「さんぞっ?」
 そのままベッドに潜り込もうとする三蔵に、悟空は慌てて声をかけた。と、ジロリ、と睨まれた。
「猿、俺は疲れてる。夕方まで寝るから邪魔はするな」
 釘を刺されるように言われて、悟空は言葉につまる。
 う〜、と唸るような声をあげ、それから。
「おやすみ、なさい……」
 小さく呟くと、すごすごと寝室を後にした。
 パタン、と扉を閉める。自然と溜息が零れた。が、悟空はブンブンと頭を横に振った。
 三蔵は疲れているのだ。それはわかりすぎるほどわかっていた。
 それもこれも休みを取ってここに来るため、そして悟空との約束を果たしてくれようとしたためだった。
 約束のきっかけとなったのは、一か月ほど前の悟空の誕生日だった。悟浄と八戒の家に遊びにいった悟空は誕生祝いのパーティをしてもらった。行くまでまったくそのことを知らなくて、すごくびっくりした。それもそのはず、いわゆるサプライズパーティというやつで、目を丸くした悟空に悟浄も八戒もいたく満足したようだった。
 ケーキとご馳走を食べてプレゼントを貰って、もちろん悟空も大満足だった。誕生日はそうやって祝うものだと初めて知った。
 そうふたりに告げると、『三蔵はダメですね』とか『甲斐性がねぇな』とかいう言葉が返ってきた。けど、違うと悟空は思った。悟浄と八戒に、悟空の誕生日を教えたのは三蔵だった。どうしてふたりが誕生日を知っているのかと聞いたらそう返ってきた。たぶんこうして祝ってくれることを見越して三蔵は教えたのだろう。これまでだって誕生日には御馳走もケーキもなかったが、三蔵は悟空の喜ぶことをしてくれていたのだから。
 楽しく過ごしていたせいで、寺院に戻るのはかなり遅くなった。もうとっぷりと日が暮れて、辺りは真っ暗になっていた。怒られるかな、と足音を忍ばせて悟空は私室に戻ってきたが、その必要はなかった。
 三蔵は私室にいなかった。執務室の方を窺ってみると灯りがついていて、まだ仕事中のようだった。
 そこで、おとなしく私室で待っていると、日付が変わろうかという頃になってやっと三蔵が帰ってきた。
「おかえりなさい」
 声をかけると、三蔵は少し驚いた顔をした。もうとっくに寝たと思っていたのだろう。
「あぁ」
 短く答えて、法衣の袖を抜く三蔵の雰囲気が心なしか柔らかくなったような気がした。悟空の楽しい気持ちが移ったのかもしれない。
 たたた、と悟空は三蔵に近寄り、普段はそんなことはしないのだが、ドン、とぶつかるように三蔵に抱きついた。
 また少し驚いたような気配が伝わってきたが、振り解かれはしない。悟空は嬉しくなってすりすりと小動物のように三蔵に懐いた。楽しい気持ちとか嬉しい気持ちとかがもっと三蔵に移ればいい、と願いを込めて。しばらくして、くしゃりと撫でるように髪をかきまぜられた。
「……休みがとれたら、町にうまいものでも食いに行くか」
 そして三蔵がそんなことを言い出した。
 そう。三蔵はこんな風にさりげなく悟空が喜ぶことを誕生日にしてくれる。三蔵なりのプレゼントということだろうか。嬉しくなって、ますます悟空は三蔵に懐いた。


continue・・・