DAYBREAKER


 早朝の墓地には霧が立ち込め、辺りの景色は乳白色に埋もれている。そんな視界の悪いなか、だが迷うことなく三蔵は歩を進め、奥まったところにある墓石の前で立ち止まった。
 しばし墓石の前に佇む。まるで話をしているかのように。それから跪くと、手に持っていた花を供えた。
 もう一度改めて墓石を見つめ、立ち上がろうとし――。
 一瞬の出来事だった。
 振り向きざま、音もなく後ろに立った人影に、三蔵は銃を突きつけた。人影は驚いたように小さく手をあげる。それに冷たい視線を向けながらも、三蔵は内心、ほんの少しではあるが、驚いていた。
 本当であれば、相手の眉間に銃を突きつけていたはずだった。相手は、銃が突きつけられるまで何が起こったのかわからず、手をあげることもままならなかっただろう。だがこの少年は、一歩後ろに下がって間合いを開け、さらに敵意をないことを示すかのように手をあげるということまでして見せた。
 微かに眉間に皺を寄せ、三蔵は少年を見つめる。
 そう、少年だ。
 相手が小柄な、まだ少年と言っても良いような姿をしていたことも驚きだった。
 長い黒髪。サングラスをしているので、目の色はわからない。が、サングラスを通して見える目元はまだあどけない。見かけはまるっきり子供だ。だが、こんな近くに来るまで三蔵に気配を気取られなかった。
 いまも軽く手をあげてはいるが、隙がない。
「あの……」
「どうやって調べたのかは知らんが、ここでやり合う気はない。去れ」
 少年が何か話かけてこようとするのを制して、三蔵は冷たく言い放つ。驚いてはいたが、ただそれだけだった。この少年が何者で、何をしようとしていたのかに興味はなかった。第一、ここ以外の場所であれば問答無用で引金を引いていた。――簡単に撃たれてくれたかどうかは別として。
「ここを血で汚したくないってこと、か」
 少年はそう呟く。サングラスの奥の目が墓石にと向いた。
「大切なんだ、彼のこと」
 ――何を知ったような口を。
 反射的にそう思い、引金にかかった指に力が入る。
 だが一瞬の間を置いて、三蔵は無言で銃を降ろし、少年に背を向けて歩き出す。
「待って」
「挑発したところで無駄だ。ここでやり合う気はないと言っただろう」
「やり合う気なら別にこっちにだってない。ただ、雇ってくれないかな、と思って」
「何?」
 少年の口から出た意外すぎる言葉に三蔵の足が思わず止まる。
「……お前、斉天大聖だろ。焔のところの殺し屋の」
「それが俺だって知ってるんだ? さすが三蔵法師、だね」
 正確には、この少年が聖天大聖という名の殺し屋だということを三蔵は知っていたわけではない。聖天大聖の姿を見た者はすべてこの世から消えているのだから。ただ『少年の姿をした悪魔』という噂は知っていた。だから簡単に三蔵に近づいてきた技量と、目の前にいる少年のまるで隙のない様子からして、そうではないかと見当をつけたまでだ。
「天に斉しいとは、な。ふざけた名前だ」
 だが、わざわざ知らなかったことを教えてやる必要もあるまい。三蔵は別のことを口に出す。
「うん。俺もそう思う。でも俺が自分でそう名乗ったわけじゃない」
 表情に微かに憂いが帯びる。儚げな様子に三蔵は眉間の皺を深くする。
「ふざけているのは名前だけじゃねぇのか?」
 こちらの気を惹く手管かと思う。ので、口調がきつくなる。
「どういうこと?」
「焔のとこの殺し屋を雇えるわけがねぇだろうが」
「あぁ。それなら大丈夫。焔との契約は終わったから。ついさっき」
「真面目に言っているのか? それが信じられるとでも?」
「信じてもらうしかねぇんだけど……さすがに焔自身は無理だけど――サシでやり合ってもとても強いから。でも焔のトコのヤツを何人か消せば信じてもらえる?」
 先ほどの憂いの表情はどこにいったのか、いっそ無邪気といっていいほどの笑みを浮かべる顔を見つめる。
 どうすべきか迷うが。
「来い」
 やがて溜息をつき、三蔵は歩き出す。
 後ろを見ずとも少年がついてきているのはわかった。
 不思議と後ろから攻撃されるとは思わなかった。そうであってもおかしくはなかったが。そして不思議といえば、こうして連れ立って歩くことに違和感を覚えないことも不思議だった。
 振り向けば、にこっと笑みを返される。
 何となく釈然としない気持ちのまま、三蔵は歩き続けた。


continue・・・