夢の実


 ふと気がつくと、辺りは漆黒に包まれていた。
 右も左も上も下も濃い闇で、自分のいる場所がよくわからなくて、なんだか平衡感覚を失いそうだ。
 いつの間にこんなところに紛れ込んでしまったのだろう。
 よくわからない。
 だが。
「どこまでも邪魔な子ね」
 声がした。
 悟空は辺りを見回し、声の主を見つけるときっと睨みつけた。
「なんのつもりだっ。三蔵を放せっ」
 闇のなかに、まるで浮かんでいるかのように女性と三蔵の姿があった。
「なぜ、あなたにそんなことをいわれなくてはならないの? この方は私のものなのに」
 女性はむっとしたようにいうが、すぐに艶やかな笑みを浮かべる。
「でも、もう関係ないわね。あなたはもう手出しをすることができないもの」
 白く細い手が三蔵を包み込む。
 三蔵の目は、眠ってでもいるかのように軽く閉じられていた。なんの表情も浮かんでいない顔は、まるで彫像のようだ。闇との対比のせいだろうか。肌はいつもよりも白く透明感を増し、整った顔立ちがいっそう引き立てられ、余計に彫像じみて見えた。
「綺麗。なんて綺麗なのかしら」
 うっとりとした声が響く。
 だが。
「目を覚まして、動いているときの方がずっと綺麗だ。そんなの、人形と同じじゃないかっ」
「……生意気な子ね」
 まっすぐ、なんの迷いもなくいいきる悟空に、三蔵を包み込むように抱きかかえる女性の目が、すっと細められた。
 細面の美しい顔――のはずだったが。
 いまはとても醜いものに見える。
 顔の造作が変わったわけでもないのに。
「目を覚ませよ。三蔵っ!」
 悟空は叫び、ふたりのいる場所に向って走り出した。
「無駄よ。この方は私のものなのだから。未来永劫、ずっと私のものよ」
「ふざけるなっ。三蔵は三蔵のものだっ」
 闇がふたりを取り巻き、その姿を消そうとしていた。
「させねぇっ」
 悟空は走りながら手を伸ばす。
「三蔵っ。目を覚ませってば、三蔵っ!」
 必死に呼びかける。
 いつでも応えてくれた。
 面倒臭そうな様子を見せつつも、呼びかける声には必ず応えてくれた。
 だから、今回もきっと。
「三蔵っ!」
 全身全霊をかけて呼びかける。
 なんの反応も示してくれないことに絶望しそうになりながらも強く、強く――。
 だって。
 聲は必ず届く――。
「さんぞぉっ!!」
 振り絞るようにしてあげた声に。
 ふっと、三蔵の表情が動いた。
 ゆっくりと頬に影を落とす睫毛が揺れ、瞼の下から深い紫の瞳が徐々に現れる。
「三蔵……」
 ようやくそばまで辿りついた悟空は、安堵のあまり泣きそうになりながら三蔵の手を掴もうとする。
 指先が触れたその瞬間。
「だめよ」
 強い力で三蔵の体は後ろに引かれた。
 自身の置かれている状況を悟り、三蔵は不機嫌そうな表情をする。
「手を離せ」
 ひどく冷たい声とともに、女性の腕を振り切ろうがするが、普通の女性とは思えないほどの力で拘束され、三蔵の顔はますます不機嫌そうなものになる。
「なぜ逆らおうとするの? あなたは私とひとつになる運命なの。そう決まっているのに。初めて会った時から私にはわかっていたわ」
 三蔵の耳元で、女性は歌うように囁く。
「ざけんな」
 三蔵は怒りに満ちた声をあげるが、女性の束縛は外せず、その姿は沈み込むようにだんだんと闇に包まれていく。
「三蔵っ」
 悟空は叫び、再び手を伸ばして三蔵を女性から奪い返そうとする。
 が。
「わっ!」
 三蔵の体に手をかけた途端、まるで見えない力に弾かれたかのように悟空の体は宙を舞い、遠くに飛ばされた。受け身も取れぬまま地面に叩きつけられる。
 だが、痛みよりもなによりも焦燥感にかられ、悟空は跳ね起きると三蔵のもとにもう一度駆け戻る。
「三蔵っ」
 三蔵の姿はもう半分以上闇に包まれている。
 後ろで、満足そうに女性が笑っているのが見えた。
「三蔵っ」
 嫌だ、と思う。
 どこにも行かないで。
 置いて行かないで。
「三蔵っ!」


continue・・・