ここから、ずっと。


 微かな音を立てて扉が開き、蔵のような建物から三蔵が出てきた。少し俯き加減で、表情が見えない。しばらくその場で佇んでいたが、突然、腕を振り上げると勢いよく壁に打ちつけた。ドン、という大きな音が辺りに響き渡る。
 ――何度、こんなことを繰り返せば。
 ギリッと唇を噛みしめる。
 いつの間にか雨が降り出していたが、そんなことは意識の外のようで、濡れるのにも構わず三蔵はその場に立ち尽す。
 まるで彫像と化してしまったかのように三蔵は動かない。そのまましばらく時間は流れていき、やがて、パシャパシャと水を撥ねかしながら、足音が近づいてきた。
「三蔵」
 悟空だ。
「全員、追っ払ったけど、俺一人に押しつけて行っちゃうなんて、ひでぇよ、もう。ってか、何、やってんだよ、三蔵。びしょ濡れじゃん」
 悟空は勢いよく文句を言っていたが、三蔵の髪から滴り落ちる雫に気づき、慌てて三蔵の手を掴むと、先ほど三蔵が出てきた建物のなかにと引っ張りこむ。そこは、表から見た通り、蔵のような造りをしていたが、何も置かれておらず、ガランとしていた。
「そっか」
 その様子を見て、悟空が呟く。
「無駄足だった、か」
 その言葉にも三蔵は反応を示さず、どこを見ているのか、無表情のままだ。
 長安から遠く離れたここまで来たのは、妖怪の盗賊団のアジトに経文があるかもしれない――という情報が寺院に持ち込まれたからだったのだが。
 たまにこういうことがある。
 妖怪の間に広く流布している言い伝えに、三蔵法師を食らうと不老不死になる、というものがある。その言い伝えを信じた輩が、三蔵をおびき寄せるためにあるはずのない経文を囮に使うというのは、これが最初ではなかった。
「とにかくもうちょっと小降りになるまで待って、それから宿に戻ろう」
 妖怪のアジトは森のなかにあったが、そこからほど近いところには街があり、情報収集のためもあって、その街に宿を取っていた。軽く聞き込みをしていたところ、近々、大きな取引があるようだ、というのを聞き、もしかして経文を売り払ってしまうのではないか、と急いで来てみたのだが――その情報自体も虚偽だったようだ。
 悟空は三蔵を見やるが、相変わらず三蔵は何も言葉を発しない。濡れた髪からまた雫が落ちたのを見て、悟空は服の袖を引き上げると、三蔵の濡れた髪をちょいちょいと拭いていく。と、どこからか隙間風が吹き込んできた。
「寒っ」
 思わず口に出し、ふるっと悟空は震える。
 妖怪のアジトは、普段、妖怪たちが生活しているであろう建物と、その奥の蔵のようなもので構成されていた。経文は蔵にあるのではないかと思えたが、蔵の向こうは山になっていて、そちらから近づくことはできず、建物を突っ切っていくのが一番の早道のようだったので、経文を取り戻すにあたっては正面突破を試みた。その際、後は任せたとも言わず、三蔵はドンドンと先に行ってしまい、悟空はその場の妖怪たちを一手に引き受けることになってしまった。
 そのことへの不平不満はともかく、とりあえず悟空は屋根のあるところにいたので、三蔵ほどは濡れていない。妖怪たちを打ちのめすのに忙しくて、外に出るまで雨が降っていることさえ知らなかった。
「……ったく、あんな冷たい雨のなか、外にいるなんて」
 ぎゅうっと悟空は三蔵に抱きついた。
 冷え切ってしまっているのが、服を通してもわかる。
 ――どうしてこの人はいつも一人で。
「……俺が……」
 温めてあげられればいいのに。


continue・・・