Off Limits


「ただいま戻りました」
 呼び出され、久々に実家に戻ってきた三蔵はそう挨拶をしながら、玄関をくぐった。
 普段ならば、すぐに出迎えてくれるはずの養父の姿がないことに少し違和感を覚えるが、玄関先に見覚えのない靴がいくつか揃えてあるのを見て、来客中かと見当をつける。
 もしかしたら、この急な呼び出しと来ている客とには関係があるのかもしれないが、応接間にも先程の声は聞こえているはずだし、そうであるならば声がかかるだろう。とりあえずは荷物を降ろそうと、三蔵は居間に向かった。
 扉を開けると、なかにいた見知らぬ少年と目が合った。
 大きな金色の瞳。
 そう意識した途端、ふいに。
 捕らわれたような、なんともいえない奇妙な感覚に襲われた。
 人にも物にも、こんな風にただの一瞬で心が動かされたことなどない。
 それなのにどういうことだろう。ただどうしようもなく、この綺麗な色合いの瞳に惹きつけられる。
 それは不思議な感覚。
 そして、なぜだかはわからないが、少年も同じような感覚を味わっているのがわかる。
 視線を外すことなく、じっと三蔵を見つめている。
 言葉はなにもない。
 だが、気持ちのどこかが通じ合っているような。
 そんな胸が温かくなるような、ほっとするような、感情が湧き上がってくる。
 どのくらいそうやって見つめあっていたのだろう。
 時間にすれば、そんなに長くはないはずだ。
「どうしました、江流?」
 突然、聞き慣れた声が響き、三蔵は我に返ったような表情を見せて、声のした方に視線を転じた。
 それまで、本当にまるで視界に入っていなかったが。
 居間には、少年以外にも人がいた。
 どうやら養父は客を応接間ではなく、居間の方に通していたようだった。
「いえ、失礼しました。ただいま戻りました」
 三蔵は姿勢を正し、改めて挨拶をする。
「はい。お帰りなさい」
 にこにこと笑い、養父の光明が応じる。
「わざわざ呼び出してすみませんでしたね。とりあえず、こちらにお座りなさい」
 三蔵は光明の指し示した場所―テーブルを挟んで、少年の向かいにと腰をおろした。
 変わった色合いの瞳は、今はもう三蔵の方を向いてはいない。少し視線を下げ、どこでもないところを見ている。
 意識的に視線をそらしているのではないか、という疑いが三蔵の頭を掠める。普段であれば、他人がどうであろうと気にも留めないし、むしろ見られていることは鬱陶しいとさえ思うのに。なぜかこの少年が自分の方を見ないことに少しばかり苛立つ。
 だがそればかりに気を取られているわけにもいかず、なんとなく憮然とした心持ちで、三蔵は部屋にいる面々に意識を切り替えた。
 見知らぬ人間が少年の他にも三人いる。いずれも三蔵と同い年くらいの青年で、少年の左右にひとりずつ、それから離れた奥の窓のところにもうひとり。こちらは座っておらず、また話に加わる気はないようで、窓の外をまるで警戒するかのように見つめている。
 あとは三蔵の右に光明、そして左に理想的なプロポーションを強調するようなスーツに身を包んだ女性がひとり。これで全部だ。
「よぉ。遅かったな」
 三蔵が座って落ち着いたところを見計らうように、女性が、容姿に似合いのハスキーな声で話かけてきた。
「……社長」
「そんな顔をするな」
 露骨に嫌そうな顔をしている三蔵を見て、『社長』と呼ばれた女性はクスリと笑う。
「今日は光明のところに茶を飲みにきただけだ。だが、そんな顔をされるとつい構いたくなるじゃないか」
 その言葉に三蔵の眉間の皺がますます深くなる。
 この光明の友人という観音の会社に入ったことは人生で一番失敗だったかもしれない、と常日頃、三蔵は密かに思っていた。
 人生は楽しまなくては損。
 そんな座右の銘を持っている観音は、自分が楽しむためならばなんでもする。
 そこに『常識』という言葉はない。
 しかも、周囲にとって迷惑極まりないことに、彼女の最大の楽しみは、『人で遊ぶ』ことだった。この場合、『弄ぶ』というのとは少し意味合いが違うのがまだマシなところだが、まぁ、遊ばれる当人としてみれば、あまり違いはない。
 三蔵が観音の会社に入ってから、その『お楽しみ』の対象になったことは一度や二度ではない。
 社長のお気に入り。
 そんな噂さえたつほどだったが、こういう場合に普通含まれているはずの羨望とか嫉妬というものはそこにはない。
 ご愁傷様。
 気持ち的にはこれが一番近いかもしれない。
 そんな観音がここにいるのだ。
 普段であれば茶を飲みにきたといっても、養父の友人であるからにはそんなに不思議なことではないのだが。
 ところで余談ではあるが、観音が養父の古い友人と知ったのは、三蔵が会社勤めを始めてからのことで、それまで観音はこの家に来たことがなかった。なんでも互いに仕事が忙しくて縁遠くなっていた、とのことだったが、これを機会に友情を復活させようといい出した時には、本気でやめてくれ、と思ったものだ。
 それはさておき、この日、この面子のなかに観音がいるということになにか意味がありそうで。三蔵は少し身構えた。
「江流、そんなに緊張しないでください」
 なんだか苦笑しているような感じの光明が、淹れたお茶を三蔵の前に置く。
「今日来ていただいたのは、こちらの方のお世話をお願いしたかったからなのですけど」
 そういって光明が眼差しで示したのは、三蔵の向かいの少年だった。
「世話?」
 世話というのは、この家で預かるということだろうか。
 怪訝そうな表情を浮かべ、三蔵は改めて目の前の少年に視線を向けた。
 歳は、十二、三歳くらいだろうか。子供ではあるが、だれかがわざわざ世話を焼かなくてはならないほどの子供ではない。
 だいたい養父のところには通いではあるが家政婦がいるのだ。三蔵が世話をしなくても、衣食住で困ることはないはずだ。
 と、そこで、もしかしてそうではなくて、という考えが浮かぶ。
「まさか、私のところに連れて行け、という話ではないですよね」
 就職してから、三蔵はこの家を出て、都内のマンションでひとり暮らしをしていた。
 マンション、といってもひとり暮らし用だ。そんなに広くはない。が、ワンルームマンションというわけでもなかったから、子供のひとりくらいで極端に狭くなるということもなかった。どちらかというと物理的な広さよりも、他人に自分の生活に入ってきてほしくない、という気持ちが強く三蔵にはあった。
「いいえ。そうではありません。そうではなく―」
「別にいいよ、世話なんて」
 穏やかに説明を続けようとした光明の言葉を、突然、少年が遮った。
 三蔵が難色を示しているのと同じように、そっぽを向いている。
「そういうわけにはいきません」
 少年の右隣の青年がなだめるように手をとって、いい聞かせるように囁いた。
「そうそう。計画が台無しになっちまう」
 反対側からも声がして、少年の髪がくしゃりとかき回される。
「似てても金蝉とは違うんだから、お前のお願いを聞いてくれなくてもそんなに拗ねなさんなって」
「捲簾、言葉遣い」
 少年の頭を飛び越えて、咎めるような声がかかる。
「あぁ。失礼いたしました、殿下」
 捲簾と呼ばれた青年は少年の頭から手を離すと、軽く演技めいた会釈をして姿勢を正した。
「……殿下?」
 確実に普段、日常会話では出てこない単語を聞いて、三蔵は眉を少し寄せる。
 なにやらよくわからないことだらけだ。
「すみません。ちゃんと順を追って説明しましょうね」
 困惑している三蔵に、光明がこんなときでも変わらぬ笑みを向けた。
「それよりも先に、きちんとご紹介もしていませんでしたね。まずは、殿下」
 そっぽを向いたままの少年に、優しく光明は声をかけた。
「こちらがお話していました私の義理の息子です。そして、江流。この方は桃源国の第一王子、孫悟空殿下です」
「桃源国?」
 微かに三蔵の眉が跳ね上がった。


continue・・・