桜の約束


 ――あ、れ……?
 ふと目を開けると真っ暗で、悟空はぱちぱちと目を瞬いた。すっきりと目が覚めたので、もう明るいのかと思ったのだが、辺りは完全なる闇で夜明けまではまだかなり間があるようだった。
 珍しいこともあるものだ、と自分で思う。目を閉じて、次に目を開けたらもう朝、というくらいに寝つきも寝起きもいいはずなのに。
 そして不思議なことは、もうひとつ。
 ――呼ばれてる?
 声、というほどのものではないのだが、なんだか呼ばれているような気がする。辺りを見回すが、いるのは隣で寝ている三蔵だけで――そしてこれは三蔵の声ではない。三蔵の声ならすぐにわかるはずだから。
 なんだろう、と悟空は眉根を寄せ、それから起き上がると外にと向かう。声は外からしているようだ。
 外は部屋のなかと変わらぬくらいに暗かった。空には雲がかかっているようで、月はぼんやりと中天に浮かんでいる。慣れた寺院の庭でも、こう暗いと歩きにくいものだが、悟空は気にした風もなく足を運んでいく。正確に言えば声の方が気になって、あまり足元に注意を払っていなかった。危ないことだが、幸いにもどこにも躓くこともなく、声がしていると思しき場所に辿りつく。
 そこには寺院のなかでも一際大きな桜の木があった。
 呼んでいたのは、この木だろうか。
 と、まるで桜が人であるかのように思う。
 微かに冷たさを孕む春の風が吹き抜けていく。風に花びらがはらはらと舞う。花びらは淡い月の光を受け、ぼぉっと光ってでもいるかのようだ。綺麗だな、と目で追い、それから木の方に視線を戻す。
 と、そこに人がいた。
 さきほどまで誰もいなかった――と思う。が、いま来たというような風情ではない。もうずっとそこにいたかのように、手に盃を持った男性が三人、桜の木の下に座って、酒を酌み交わしていた。
 ここは寺院の庭だ。が、三人は僧形ではない。というか、ここの僧だったら夜中に桜の下で酒を酌み交わすなど、見つかったら破門ものだろうからそんなことをするはずがない。といって一般人が、寺院の奥深くまで入ってくるとも思えない。しかも夜なのに。
 悟空は少し混乱して、起きたと思っていたが、実はまだ寝ていて夢でも見ているのか、と頬をつねってみた。痛いだけで目の前の三人は消えない。
 薄闇のなか、周囲の風景も覚束ないのに、桜とその三人だけは仄かに光ってでもいるかのようにはっきり見えるのも不思議で、夢としか思えないのだが。
 なんだろう、これは――。
 そして。
 知って――いる――……?
 悟空はじっと三人を見つめる。一人は仏頂面で、一人は穏やかに、一人は楽しそうに笑いながら酒を酌み交わしている。
 それが、どこか――懐かしい、ような……。
 いつか、どこかで、これと同じ景色を見た。覚えてはいないけど――『頭』ではなく、『心』がそう言っている。
 いつか、どこかで、と。


continue・・・