甘い香り


 どこからか甘い香りがした。
 三蔵は香りのもとを探すように視線をあげる。と、広い寺院の庭の片隅にもこもことしたものが見えた。
 なんだ、あれは。と思う。寺院の風景にそぐわないことこのうえない。しかも、どうやら甘い香りはそこからしているようだ。なんだか嫌な予感を覚えつつ、三蔵は、そちらにと足を向けた。
「三蔵っ!」
 と、元気いっぱいな声がかかって嫌な予感がさらに強まる。
「……何をしている?」
 それでも聞かずにすますことはできず、とりあえず聞いてみると。
「日向ぼっこ」
 と満面の笑みが返された。
 春まだ浅いこの時期は、陽射しがあってもまだまだ肌寒いが、雪が降るような冷え込みになることは滅多にない。体力を持て余している小猿が外で遊んでいるのは不思議なことではないが、ひとつところにじっとしていることは少し不思議だった。もっと元気に駆けずり回って遊んでいるものと思いこんでいたのだが。
 そんな疑問が顔に出ていたのか、悟空が困ったような顔で付け加える。
「んと、こいつら、離れてくれなくて。寒いからかもだけど」
 もこもこの正体は何匹かの猫で、よくよく見れば悟空の膝のうえだけでなく、背中にぺったりとくっついているものさえいる。
 寺院で飼っているわけではないが、勝手に住み着いている猫が数匹、いるにはいる。たまに悟空と仲良く遊んでいる猫もいるが、全部が全部、悟空に懐いているわけではなかったはずだ。だが、ここにはどうやら寺院にいる猫全部が集まっているように思える。
 何か猫を惹きつけるものがあるのだろうか、と考え、甘い香りが悟空本人から漂ってきていることに気付いた。食べ物の香りというわけではなさそうだが、いったいこれは何だろう、と思い、確かめようと手を出した瞬間、悟空の膝のうえにいた猫が毛を逆立たせ、威嚇の声をあげて、シャッと前足を振るってきた。
「つっ」
「三蔵っ」
 手の甲を引っかかれて、思わず三蔵は一歩下がった。
「こらっ。いきなり何をすんだよ」
 悟空は叱るように猫の頭を軽く押さえ、それから猫を地面におろして立ち上がる。
「大丈夫か?」
 確かめるように手を取ると、それほど深い傷ではないようだか、甲に血が滲んでいた。
「えぇっと」
 悟空はポケットを探ってハンカチを探し出すと、三蔵の手に当てる。
「ごめんな」
 しゅんとうなだれる。
「お前がやったわけじゃねぇだろ」
「だけど……」
「それよりもうすぐ日が暮れる。寒くなる前に中に入れ」
「うん」
 悟空の足元にはまだ数匹の猫が纏わりついている。これだけいれば多少寒くなっても暖が取れそうだし、風邪をひくこともなさそうだが、そもそもなぜこれだけの猫が集まっているのか、疑問に思うところである。
「お前、何か持っているのか?」
「へ?」
「猫の数が多いからな。食い物でも持っているのかと思ったんだが」
「ううん。別に何も持ってねぇけど」
 悟空は小首を傾げる。
「確かになんか纏わりついてくんなぁって思ってたけど。あったかいからいっかってなってたけど」
 三蔵は一歩、悟空に近づく。
 やはり、香りは悟空から漂ってきているようだ。
「甘い香りがする」
「香り?」
 訝し気な顔で悟空は腕をあげ、自分の香りを嗅ぐような仕草をする。
「自分じゃわかんねぇけど。うーん。今日のおやつのまんじゅうかな」
 甘い。だが、食べ物の匂いではない。
 もっと何か――。
 三蔵の手が悟空の頬にかかる。大きな金色の目が三蔵を見つめ、甘い香りがますます辺りに充満する。
 この香りはきっと――……。


continue・・・