懐き上戸の酔っ払い


 寺に堂々と酒を持ち込んでくるのはどうかと、普通ならば思うところだろう。だがあいにくと、ここにはそんな真っ当な疑問を抱く者などいなかった。そもそも、最高僧様自らがちょくちょく酒を買ってくるし、私室にはビールが常駐されている。
 だからそんなことは今更なのだ。
「良いお酒が手に入ったんで、おすそ分けに来ました」
 にこやかに笑う八戒の隣では、悟浄が一升瓶を手にニヤリとこちらも楽しげな笑みを浮かべている。
 出会って以来この二人は、なにかと口実を作っては寺院に――もっと言えば、悟空に会いにやってくる。
「お前ら、ここがどこか言ってみろ」
「……三蔵が言っても説得力ないと思う」
 三蔵の不機嫌の本当の理由に気付いていない悟空はあっさりと言い放ち、満面の笑顔で二人の方へと駆け寄った。
「酒って事は、つまみもあるんだよなっ」
 大体において悟浄たちが酒を持ってくる時には、八戒手製のつまみも持ってきてくれる。期待に輝く悟空の瞳に八戒は穏やかに頷いて、手に持っていたバスケットを差し出した。
「もちろんですよ」
 こうして。
 寺という場所には甚だしく似合わない――しかし三蔵の部屋だと思うとまったく違和感のない、酒宴が始まるのであった。


 その視線が投げられたのは、大量に用意したつまみの残量がこころもとなくなってきた頃。
「……なあ」
 過保護な保父さんに当然のようにウーロン茶の入ったコップを渡されていた悟空が、じっと残り少なくなった一升瓶を眺めていた。
「あぁ?」
 多少酔っ払ってはいるものの、まだまだ元気な悟浄が悟空の視線に応えて顔を向ける。
「それって、美味いの?」
 今までは酒といえばビールが出てくることばかりで。だが悟空はビールの苦味がどうにも苦手で、これまでそれほど酒を飲む機会はなかった。
「飲んでみるか?」
「うんっ!」
 悟浄は空いてるコップに酒を注いでくれたのだが、横からひょいと八戒の手が伸びてくる。
「悟空。お酒は大人になってから、ですよ」
「いいじゃん、ちょっとだけっ。な?」
 一度は諌めた八戒だが、根本的に八戒は、悟空のおねだりには弱いのだ。ぱんっと両手を胸の前で合わせておねだりモードで声をかければすぐに雰囲気が変わる。
「仕方ないですねえ」
 一口だけですよ、と。悟浄から取り上げたコップを渡してくれた。
 コップの中にあるお酒は、向こう側が透けて見える透明色。コップの向こう、悟空の真正面には三蔵が居て。三蔵も同じお酒が入ったコップを持っている。
 同じものを飲むんだなあ、と。ただそれだけのことが、妙に嬉しくて、頬が緩む。
「へへー」
 だが、ぐいと一口呷った次の瞬間、悟空の眉間に皺が寄った。
「苦くはないけど……なんか、ヘンな味……」
「ははっ。やっぱお子様にはまだ早かったみてぇだな」
「んなことねぇよ!」
 お子様扱いにムッとして、勢いのままにコップのお酒を一気に飲み干す。
「悟空っ!」
「お〜、いい飲みっぷり」
 焦ったような八戒の声とは対照的に、悟浄の声は面白がっている。
「ん!」
 ぐい、とコップを悟浄に向ける。こうなればもう意地だ。あまり美味しいとは言い難いが、お子様扱いされて引き下がってはいられない。
「おい、猿。無理すんじゃねえ」
「だいじょーぶだよっ!」
 三蔵の言葉も振り切って、八戒に止められる前にと自分で酒瓶に手を伸ばす。今度もコップに入れた分を一気に飲み干したら、悟浄がヒュッと楽しげに口笛を吹いた。
「悟浄……」
 呆れ交じりの声と一緒に鋭い視線を向けられて、悟浄も悪ノリしすぎたかと苦笑したが、もう遅い。
「悟空、そろそろ終わりにしとけって」
「おこさまじゃねぇもんっ! だからまだ飲めるっ!」
「そういう問題じゃねえだろ……」
 ため息を零しつつ悟空の腕を引いてこれ以上の飲酒を止めようとした悟浄が、ハッと気がつく。たった二杯だったが、やはりお子様には刺激が強かったらしい。悟空はもうすっかり顔を赤くしていた。
「そーゆーもんだいなの!」
 捕まれた腕を払って、またも瓶に手を伸ばした悟空より一歩早く。三蔵がひょいと一升瓶を自分の手元に引き寄せた。
「さんぞう。なんでとるんだよぉ」
「うるせぇ」
「なぁ、さんぞう。おれものみたいー」
 ふらふらと頼りない足取りながらも三蔵の隣にたどり着いた悟空はそのまま三蔵の背中に飛びついた。
「さんぞー」
「酒はやらんぞ」
「えー。さんぞのいじわる」
 そう言うわりに、悟空は至極幸せそうににへりと笑って抱きついていた。
 八戒と悟浄にとって意外だったのは、引っ付かれても三蔵が邪険に払わなかったことだ。
 三蔵と悟空の関係が『保護者と被保護者』だけではないことなどすでに暗黙の了解なのだが、人前だと三蔵ははっきりきっぱり引き剥がすのだ。実は三蔵も結構酔っているのかもしれない。
「味もわからん猿に飲み干されてたまるか」
「むー」
 言われて悟空はむっと頬を膨らませたけれど、そんな顔すら嬉しそうに見えるのは気のせいではないだろう。
「……も、酒はどうでもいいのね」
 アテられた気分で手元の酒を呷りつつ呟いた悟浄に、八戒も微笑を浮かべる。
「そろそろお開きですかね」
「だな」
 何を言われてもひたすら嬉しそうに笑って三蔵に懐いている悟空だが、目はとろんとしていて、いつ寝てしまってもおかしくない。
 手早く部屋を片付けて、八戒と悟浄は帰路へつくことにした。


  ◆


 ぼんやりと。目を、覚ます。
 寝ていたつもりはなかったのだが、いつの間にか意識が飛んでいたらしい。
「ん……」
 曖昧な視界でぐるりと周囲を見渡せば、ここが見慣れた寝室であることに気付いた。
 そして。
「さーんーぞー」
 見つけた金糸にぽふりと抱きつく。
 なんだろう。
 なんだかすごく、触りたい。
「悟空……」
 引っ付くなとでも言いたそうな三蔵だが、無理やり引き剥がすようなことはしなかった。
 それが嬉しくて。抱きついた腕に少しだけ、力がこもる。
 間近にある体温が心地よい。
 でも少しだけ……物足りないような気もする。
 もっと、欲しくて。
「な、さんぞ」
 続けて呼べば、三蔵が振り返る。
 その唇に、自分の唇を押し付けて。しっとりと柔らかい感触に浸っていたら、三蔵の舌が潜り込んできた。
「……んっ……う……」
 蠢く舌を追いかけて、絡めて。それでもまだ足りなくて。
 滑り込んできたものを押し返して、三蔵の口内を貪る。
 ようやく満足して唇を離すと同時に閉じていた瞳を開けば、目の前には宝石のように綺麗な紫紺の色。
 満足したはずの衝動がまた、駆ける。
 触れたくて。
 触れたくて。
 胸の中が熱くて。焼け落ちてしまいそうだ。
「……さんぞ」
 ほんの少し待てば、三蔵が手を伸ばしてくれる。それはわかっているけれど、そのほんの少しの余裕すら、なくて。
 身体ごと三蔵に抱きついて、勢いのままにベッドの上に倒れこむ。
「悟空、ちょっと待て」
「やぁだ。まてないよぉ」
 くすくすと無邪気な子供のように笑うのに、潤んだ瞳は酷く妖しく艶やかで。まるで違う二つの雰囲気が同居する様は、三蔵が好む姿のひとつではあるのだけれど。
「さんぞ……。だいすき」
 上から悟空が退く気配はなく。そしてまた、悟空と三蔵では明らかに悟空の方が腕力はあって。
 悟空に退く気がなければ、三蔵といえどどうにもならなかった。
「とにかく一旦――」
 言いかける三蔵の言葉をまったく無視して、悟空は抱きついたまま肩口に顔を埋める。
「悟空っ」
 触れる唇。吸い上げられる感触に、三蔵の声に焦りとも熱ともつかない色が混じった。
 月明かりだけに照らされた静寂の中、唇が肌に触れる音が、妙に大きく部屋に響く。
 最初は肩口に触れていた唇が、少しずつ下へと移動する。
 それが、三蔵にとっての幸いだった。
「いい加減に……」
 悟空が太ももの辺りまで移動したところで、三蔵の上半身が身軽になったのだ。
「しろっ!」
 腹筋の要領で起き上がって、すぐ目の前にあった悟空の頭をぺしんっと叩いてやる。
 しがみつくように抱きついていた腕の片方を自分の頭にやって、ぴたりと、悟空が動きを止めた。
「……さんぞがたたいた……」
 こんなふうに叩けばいつもならすぐに噛み付いてくる悟空だが、今日はうるりと涙目で見上げてくるだけだった。
「ったく……。ちょっと待てと言っただろうが」
 不機嫌交じりの声音で告げた三蔵が、やり返してやろうとした時。
「さんぞうがたたいたあああっ! おれのこときらいになったの!?」
 突如泣き出した悟空に頭を抱える。
「……泣き上戸か、おい」
 懐いてきたかと思ったら今度はこれ。というか、中途半端に熱を煽られたこっちはどうすればいいものか。思って三蔵は内心ため息をつく。
「嫌いになるわけねぇだろ。落ち着け……」
 しかしさすがに泣いている悟空を襲う気にはならず、仕方なしに抱え込むだけ抱え込んで、背中をぽんぽんと撫でてやる。
「ホント?」
 三蔵の膝に座る形になった悟空は、泣いた直後だからか、酔っ払っているせいなのか。見上げてくる瞳があどけなく、けれど決して幼いだけではなく。匂い立つような色香をも纏うその気配に身体の奥に燻る熱が強まる。
「ああ」
 このまま押し倒して襲ってしまいたい衝動をかろうじて押さえ込んで、代わりに子供の戯れのようなキスを降らしてやれば、悟空は瞳を閉じてふにゃりと顔を綻ばせた。
 少し落ち着かせてやれば大丈夫だろう――と、考えていた三蔵だったが。
「……」
 気付けば聞こえてくるのは安定した寝息。
「おい、バカ猿……」
 よっぽど起こしてやろうかとも思ったけれど、先ほどの二の舞はゴメンだ。この仕返しは、明日以降にしようと決めて。
 肩やら胸やら太ももやら、あちこちに残された痕に不機嫌交じりの長いため息を零して眠りについた。


日向葵さま/ひまわり畑


可愛いですよね、悟空。可愛いです!
うるっと目を潤ませるところなんて、三蔵のハートを直撃っ!って感じですよね。
ほのぼの風味が多い葵さんがこんなお話を書いてくださるなんて。
思わず自分を褒めたまりえさんでした。
(ほのぼの、大好きなんですけどね)