染まる一色 (1)


それは久々に取れた長期休暇だった。
たまには仕事を忘れてゆっくりしたいと思って、人里離れた別荘に泊まることにしたのだ。
昔世話になった人が、ゆっくりしたければとくれた本当に隠れ家のような場所だ。
ここは携帯の電波は届かない。
備え付けの電話はあるが、知っている者で無ければ連絡することはできない。
そして、三蔵はその連絡先を誰に告げることもなくここに来た。
山道を、車で進むこと2時間。
ひっそりとその建物はある。
木造の、ロッジのような外見と裏腹に中はしっかりと二階建ての3LDKだ。
ここに来るのも、かなり久しぶりだったが月一で掃除をしてくれる、いわゆる管理人というものがいるのでそれほど痛んでいるようには思えない。
そもそも、訪れる前には連絡を入れておいたのだから室内は綺麗に掃除されていて、常は放置されているとは思えないほどだった。


三蔵はとりあえず荷物を2階にある寝室に置いて、家捜しをすることにした。
家捜し、といっても何度か来た事のある場所なので必要なものがあるか無いかの確認をするだけだ。
テレビすら置いていない家は酷く静かで、ほんの少し外から漏れ聞こえる自然の音が聞こえるだけ。
まずはキッチン、と冷蔵庫を覗いてみれば、中身は空っぽ。
これから買い物に出かけなければ何も無い。
食料も頼んでおくべきだったかと、失敗に気づく。
何せ、買い物に行くにしても車で3時間ほど走らねばスーパーどころかコンビニも無いのだ。
それ以前にほとんど外食で済ませているので、たいした手料理もできはしない。
まあ、一日くらい食べなくても死にはしないだろう。
そう結論付けて、三蔵は明日の朝一でとりあえずは買い物に行くことを決めた。
仕事が立て込んでいるときなど、食べない事がほとんどなのだ。
キッチンを後にして、多少見て回ったが食料以外はきちんと揃っていた。
それならば、と寝室に戻り荷解きをする。
それすらも終わってしまえば、あとはすることはない。
家から持ち出した、買い溜めてしまっていた本を手にリビングに戻って寛ぐことにする。
ここのところゆっくり本を読む時間すらなかったのだ。


区切りのいいところまで読み終えて、煙草を取り出す。
気づけば、到着は朝だったというのに既に日は傾き始めてた。
ふっと煙を吐き出せばそれは緩やかに室内に広がった。
それを目で追いながら、今読んだものを頭の中で整理する。
こうして本を読み、それについて思考を巡らせるのは趣味のようなものだった。
と、思考を遮る様に家の呼び鈴がなった。
それは玄関に備え付けられている、静かだからこそ聞こえる小さな真鋳製の本物の鐘の音。
三蔵は舌打ちとともに、腰を上げた。
何しろここには誰に告げることなく来ているのだから、訪れるとすれば管理を任せているこの山の麓の中年夫婦くらいだ。
自分はスペアキーを持っていたので来るときに会ってはいない。
それならば挨拶に来たのだろうかと玄関の戸をを押し、面倒ながらも顔をだして――驚いた。
そこにいたのは大きな紙袋だった。
いったい何事かと思っていれば、その横から覗いた顔に更に驚かされた。
見たこともない、金色の瞳。
まるで小さな太陽の様だった。
「あの、玄奘さん、ですよね? これ届けに来たんですけど」
こちらが声も出さないことに、わずかながら戸惑いを見せつつ少し高めの少年といえる声が問いかてくる。
「……誰からだ」
それはまったく自分らしくない声だった。
少し掠れて、緊張したようなそんな声。
しかし次の瞬間、今度こそ言葉を失った。
「ここの管理人さんから、頼まれたんです」
返事が返ってきたことに喜んだのか、その少年は花が綻ぶような綺麗な笑顔を見せた。


少年は悟空と名乗った。
ここの管理人はまだ老齢というほどではないのだが、それでももう体力のある年でもないのでアルバイトとして悟空を雇っているということだった。
悟空自身は何度かここの掃除に訪れたりしていて勝手知ったるというやつで、運んできた食料などをキッチンまで運び、冷蔵庫へ入れたり棚に入れたりとテキパキと片付けている。
届けに来ただけだと思っていたら、もし迷惑でないなら食事の用意まで、と頼まれているのだそうだ。
それこそ、明日までは何も胃にいれなくてもと思っていたくらいなので、渡りに舟だった。
「好き嫌いって、あります?」
「いや、無いな。それよりも、その言葉遣いはどうにかならないのか?」
「え?」
「敬語は使うな」
少年の喋り方は、いかにも敬語には慣れていないといった感じだったので喋りづらいだろうと思ったのは確かだが、せっかくゆっくりしに来てまで、職場を思い出させる言葉遣いは落ち着かなかった。
「わかった。じゃあ普通に話すけど……」
一瞬呆けた様な表情を見せたが、すぐに難しそうな顔をする。
「けど?」
「玄奘さんって、聞いてたのと全然違う」
話の先を促せば、困ったように首を傾げられた。
聞いていた、というからには管理人から話を聞かされていたのだろうがいったいどんなことを言われていたのだろうか。
「気難しいから、って言われてたんだ」
全然そんなことないね、と笑うのに返事は思いつかなかった。
人付き合いが苦手なのは自覚している部分もあるから。
苦手、というよりは面倒なだけだけれども。
それから会話は無く、悟空が手際よく料理をする傍らで、三蔵は読みかけの本に手を伸ばした。


テーブルの上に並べられたのは、一人前というにはいささか多いように思われる料理。
ただでさえ人よりも食の細い三蔵にはとても食べきれる量ではなかった。
「これは……多いだろう」
見たままの感想を告げれば、悟空は不思議そうに首を傾げる。
「そ、かな。俺いつもこの3倍くらいは食べるよ? まぁ、でも明日の朝食にも出来るかなって思って」
なんでもないことのように告げられるのに、一瞬唖然とするが要は作りすぎたとのことらしい。
「まぁ、いい」
とりあえず、腹も減っていた。
席に着いて、両手を合わせる。
こういったことには厳しく躾けられていたので「いただきます」と挨拶をすれば、一瞬きょとんとした悟空が次の瞬間噴出した。
「な、なんか可愛い!」
「……煩ぇ」
可愛い、といわれたことに三蔵は憮然とする。
この年になってまで言われる言葉ではないし、まるで似合わないといわれたことに対して自身でもそう思っていたからだ。
そもそも、人の手料理を食べるのは久々だったし、せっかく作ってもらったものに対しての自分なりの礼だったのだ。
あまりにも笑うので、三蔵は悟空を無視して食事を進めた。

料理に関しては、文句無く旨かった。
それに、今日会ったばかりの相手に気兼ねなく喋るのも初めてだった。
旨かったと素直に言えば、心のそこから嬉しそうな顔をする悟空。
嘘偽りなく、思ったことがそのまま表情に出るので相手にしていても疲れるということを知らない。
三蔵にとって、そういった相手は今まで出会ったことが無いものだった。