染まる一色 (2)


次の日から、悟空は昼前には顔を出している。
こちらが適当に相槌を打つのに、本当に楽しそうに話をした。
話の内容は他愛の無いものだけれど、そこに悟空がいるというだけで空気が和らいだ気になるのだ。
今まで、そんな風に和やかな空気をもって接する相手など三蔵の周りにはいなかった。

そうして今ではほとんど食事も一緒に取るようになっている。
「どうかした? ぼーっとしてるけど」
遅めの昼食を、本当に美味しそうに食べる悟空がその手を止めてほんの少し首を傾げる。
そういう仕草をするとまるで少女か小動物のようで、三蔵はそれを可愛いと思ってしまう己の思考をどうにかするのに大変だった。大変とは言っても、見た目は仏頂面で悟空には分かりはしない。
「……何でもねぇよ」
だから三蔵の態度は常よりもよほど素っ気無いのないものになっていた。
もちろん、悟空がそんなことは知る良しもないので、そっかと呟いてまた食事を再開した。

食事が終われば、悟空は家内の掃除や洗濯に励んだ。
最初、そこまでしなくてもかまわないと三蔵は言ったのだが、悟空は家事全般を含めてのバイトだからと譲らなかった。
もちろん、それで給金をもらっているというなら三蔵に否はないし、手間が省ける分自分の時間を思ったよりも多く取れたのでありがたいことには変わりなかった。
悟空が忙しなく動いている間、三蔵といえば持ち込んだ本の読破に勤しむ。
リビングに置かれた、座り心地の良いソファーに腰掛け、すぐ傍らにある窓は開け放ったままページを捲る。
そんな穏やかな時間を三蔵はひたすらに過ごした。
そしてふとした瞬間に顔を上げれば、窓からは悟空が洗濯物を干す様が見て取れる。
その姿は陽だまりの中ということを差し引いてもとても眩しいものだった。
こちらの視線に気づいたのか、悟空はにっこりと笑って手を振ってくる。
それにどう返して良いのか分からず、三蔵はただ目を細めた。
悟空はそれを気にするでもなく、残りの洗濯物を手早く干してしまうと空になった籠を持って駆け戻ってきた。
「お茶にする?」
自分も手が空いたし、三蔵も集中できていない様子なので悟空は休憩にしようと提案をした。
「そうだな」
三蔵もそれに同意すれば、やはり悟空は嬉しそうに笑ってキッチンへと駆けて行った。

ばたばたと大人しいとは程遠いけれども、煩いのが苦手な筈なのに三蔵がここにきてそれを気にしたことはない。
なぜなら悟空が見せるほとんどの表情は笑顔なのだ。
それが作り笑いで無いと分かるのは、思ったことがそのまま顔に出るのか、拗ねたり、怒ったような表情を見せたり本当にくるくると表情が変わるからだ。
そんな悟空を、三蔵は気に入っている。
気に入っている、と自覚する前に、多少の戸惑いはあれど三蔵は悟空の存在を受け入れてしまっていた。
今まで、人とは深く付き合わないようにしてきたはずなのに、悟空という存在は最初からすんなりと三蔵の中に入ってきていた。
だからなのか、時折どういう対応をして良いのか三蔵は分からなくなる。
あまりにも素直に感情をさらけ出す悟空に、三蔵は答える術を知らないのだ。
「三蔵? お茶入れたよ?」
まったく頭に入ってこない活字を無理やり目で追っていれば、突然呼ばれた自分の名前にどきっとする。
悟空は呼びづらいという理由でもって、出会った次の日から三蔵のことを呼び捨てにしていた。
もう何度も呼ばれているというのに、三蔵は未だにそれに慣れない。
それどころか、実は三蔵は未だに一度だって悟空のことを名前で呼んだことはないのだ。
「あ、ああ。悪いな」
――悪いな、なんて自分らしくない。
手渡された湯飲みを受け取りながら、三蔵は心の中だけで呟く。
普段はこんな些細なことで礼を言うことなんて無かった。
それが悟空相手にはすんなり出てくるのだ。
呼ばれ慣れない己の名前に、言い慣れない礼の言葉。
三蔵はここに来てから、正確には悟空に出会ってから調子が狂う一方だ。
それでも、決してそれは不快ではないのだから、まったく自分というものが分からなくなる。
あまりにも自分らしくない。
三蔵の好みで入れられた緑茶を飲みながら、そんな自分に溜息をつきたい気分だった。

「うーん、やっぱり綺麗だよね」
ぼそり、と呟かれた言葉に何がと思って三蔵が顔を上げれば、そこには真っ直ぐに見つめてくる悟空の瞳がある。
何のことだと尋ねようと口を開きかけて、三蔵は固まった。
すっと悟空の手が伸びてきて、さらさらと三蔵の金糸を掬う。
「光を反射してて、ホント綺麗……」
悟空の視線は、手梳いている髪に注がれていた。
不意に、初めて見たときに驚いたその金色の瞳と目が合った瞬間――三蔵は不覚にも赤面しそうになった。
ふわり、と本当に綺麗に悟空が微笑んだのだ。



空には誂えたかのような満月が浮かんでいた。
1人になった家の中で、三蔵はビールを片手に晩酌をしていた。
昼間の出来事のおかげで、自分の中の感情に付く名前を知ってしまったのだ。
それ自体が光のような存在の、出逢って間もない少年を欲しいと思ってしまった。
今まで物にも人にも執着してこなかった自分が、まさかそう思える相手をこんなところで見つけるとは思っていなかった。
しかし、一度自分の感情に気づいてしまっては、無かったことに出来るほど人間出来ているとは思っていない。
人に触れられることが嫌いだったはずの自分が、断りも無く触れられて嫌悪を抱かなかった初めての相手。
身の内に燻る感情に自嘲の笑みを零しながら、三蔵はグラスを傾ける。
悟空、とその時初めて口にした名前は、酒の肴するには酷く甘かった。