お留守番(後)


 いきなり抱きつかれて、三蔵はかなり驚いた。
「ごくっ! お前、アブねぇだろうが!」
 体勢を崩し、煙草を取り落としそうになって、三蔵は慌てて足に力を入れた。
「おい、コラ。離れろ」
 自分の胸元より少し低い位置にある茶色の頭に向かって言う。だが、しがみついてくる手の力は強くなるばかりだった。
 三蔵はため息をついた。悟空の肩がぴくりと揺れた。途方に暮れてのため息だったが、悟空の方ははたかれると思ったのかもしれない。三蔵は煙草を地面に落とすと足で踏み潰した。
 その時ふと、師である光明三蔵の顔が浮かんだ。
 三蔵は無言で悟空の背中に片手を回すと、あやすように掌で軽く叩いた。それからもう片方の手で柔らかく頭を撫でた。
 何日か留守にして帰ってきた光明はよくこんなことをした。
「う〜〜」
 悟空の口からくぐもった声が聞こえた。
「別に我慢しなくてもいい」
「ふぇ、っく」
 三蔵の言葉に、堪えていたものが崩れたのだろう。小さな嗚咽が聞こえたかと思うと、盛大な泣き声に変わった。
 三蔵は慰めの言葉一つかけるでなく、ただ悟空の頭を撫でていた。
 自分はこんなことをされても泣くことはなかったけれど。
 三蔵の胸に忘れかけていた感情が蘇る。
 お師匠さまがいない間、確かに寂しかったのだ。
 やがて悟空は落ち着き、そっと三蔵から離れた。
「さんぞ、ありがと」
 そして、目に涙を浮かべたまま綺麗に笑った。
 三蔵は法衣の袂で悟空の顔を少し乱暴にごしごしとこすった。
「帰るぞ」
 そういう三蔵の声は、照れ隠しのせいか幾分ぶっきらぼうだった。
 
 日が昇り、すっかり明るくなった寺院への帰り道。先を歩く三蔵の日の光を受けてキラキラと輝く金の髪を満足そうに見上げながら、悟空が聞いた。
「なぁ、三蔵。帰ってくるのは、今日の夜じゃなかったのか?」
「……その方が良かったか?」
 悟空はぶんぶんと首を振り、すぐに振り向きもせずに歩いていく三蔵には見えないことに気付いて大きな声で否定した。
「ちげぇよ! 早く帰ってきてくれた方が嬉しいに決まってるじゃないか!」
 その言葉に、三蔵は半ば呆れて悟空を振り返った。
 なんだって、こいつは自分の気持ちを臆面もなく口にできるんだ?
 悟空は自分を見てくれた三蔵に、嬉しそうにくりくりとした金の瞳を向けた。
「お前、早くひとりで留守番できるようになれよ」
「何だよ、それ! ちゃんと留守番してたじゃねーか!」
 三蔵は何か言おうと口を開いた。だが、結局、何も言わずにまた前を見て、寺院への道を急ぐ。
「あ、おい! 三蔵!」
 悟空は慌てて追いかけた。
「猿。俺は今日一日寝てるから、起こすなよ」
 追いついて、横に並ぶ悟空に三蔵は言った。
「じゃあ、俺も一緒に寝る!」
 スパーンと小気味よい音が辺りに響いた。悟空は頭を押さえた。
「何だよ〜」
「煩い」
「いいじゃんか。俺だって寝てねぇモン!」
 三蔵は奇妙な表情で悟空を見下ろした。
 ずっと寂しいと呼ぶ声がしていた。だから、今日の朝出立予定だったのを、無理矢理自分だけ昨日の夜に変えたのだ。夜は危ないとか魑魅魍魎が出没するとかいう話を全部蹴倒して。
「三蔵」
 悟空が笑顔を向けた。
「ありがとう。大好きだよ」
 三蔵はふいっと視線を外した。それを見て悟空の笑顔がさらに大きくなった。
 明るい日差しのなか、すぐそばにいる三蔵の存在が何よりも嬉しかった。


 今日は一日、何もせずくっついて寝ていよう。
 離れていた寂しさを埋めるために。