Beware of Walking at Night


遅くなった帰り道。
駅の近くはまだ人もいたけれど、さすがに住宅地も奥の方に入ってくると、人通りもない。そんな寂しい道を、少し小走りに家に向かっていた。

と。
いきなり、周囲が漆黒に包まれた。
比喩ではなく、本当に一寸先は闇。
なにごと? と思うが、それは一瞬の出来事で、また周囲に薄明かりが戻ってきた。

街灯が一瞬、消えたのかな、と考える。
だけど、それにしてもあそこまでは暗くならないと思うのだけど。
玄関に明かりがついている家もあるし、月だって出てるのに。

なんかちょっと腑に落ちないものの、止まっていた足を動かそうとしたとき。
目の前に、人がうずくまっているのが見えた。
さっきまで全然気づかなかった。
酔っ払いだろうか。
絡まれたりしたらヤダな、とは思うが、この寒空にほっといたら、死んじゃうかもしれないんで、とりあえず近づいて様子をみることにした。

なんだか黒っぽいなと思っていたのだが、そばに寄るとそれは黒いマントみたいのを羽織っているからだとわかった。
これが普通の人だったら、年末だし、宴会で仮装でもさせられたのかと笑っちゃうところだけど、秀麗な横顔と金色の髪が目に入ってきて、その考えは吹っ飛んだ。
なんというか。
凄い、似合いすぎていた。

「あの……大丈夫ですか?」

もともと色の白い人だとは思うのだが、顔色は白い、を通り越して、血の気がまったく感じられなかった。
もう死んじゃってるとか、そういうんじゃないよね。
ちょっと怖くなるが、微かに、まつげが揺れた。

「大丈夫ですか? 救急車、呼びますね?」

声をかけながら携帯を取り出す。
と、いきなり手首を掴まれた。さっきまで具合悪そうにしてたのが嘘みたいな凄い強い力で引っ張られる。
ドン、と体がぶつかり、そして。
首筋に、チクリとした痛み。
コクンと喉が鳴る音。

「なに?!」

びっくりして、男を突き飛ばした。
とっさに首にあてた手の先に、なんだかぬるっとした感触。
ふと目線をあげると、目の前には。
唇を赤く染めた男。
ちろり、と舌が覗き、酷く艶かしい動きで赤い血を舐めとる。
これって。
これって――。
――吸血鬼?!

「――っ!」

びっくりしすぎて、声が出ない。
そんな俺の様子を、男は面白いと思っているのか、微かに笑みを浮かべて見ている。
それから、すっと近寄ってきて。

「まだ足りない」

低い声で囁くと、首を押さえている手をとった。
指先を口に含まれて、ついた血を丁寧に舐められる。
指をねぶるような舌の動きが、なんだかとてつもなく淫靡な感じで。
背中にゾクゾクとした痺れが走る。
それがわかったのか。
男は鮮やかな笑みを見せると、指から唇を離し、また首筋に咬みついてこようとした。

「ちょおっと、待ったっ!」

慌てて手を突っ張って、それを阻止する。

「待てと言われてもな。五百年ぶりの食事だし」
「五百?!」
「あぁ。俺はグルメだから、誰でもいいというわけじゃないんでな」
「グルメ……」

って、吸血鬼にそんなのあるの?
というか。

「それってただの偏食じゃ……」

思わず呟くとギロリと睨まれた。

「とにかく、お前じゃなきゃダメなんだ」
「……ごめんなさい、したいんだけど。他をあたってください。お願いします」

本気で頭を下げる。

「五百年ぶりといっただろ。俺が飲める血を持つ人間というのは、本当に稀少なんだ。そうそう見つかるわけがない」
「……なこと言われても……。五百年、血を吸わなくても平気だったなら、もう五百年くらい血を吸わなくても平気なんじゃないの?」
「いや……」

ふっと、男の瞳に翳がさす。
それは儚げな表情で。
ドキン、と心臓が跳ね上がった。
だって、綺麗……だから。

「そろそろ限界だ。ここで、お前が血を飲ませてくれないなら、朝までに俺は消えているだろう」

って。
その表情は、反則だよ。もう。
そんな儚げで、寂しげな表情されたら――。

「血を吸われて死んじゃうなんてことない? あと吸血鬼になっちゃうとか?」
「両方ともない。血を吸うといっても、ちょっと献血したと思えばいいくらいだ」
「本当に?」
「保証する」
「あ、あと、今後の生活に支障をきたすようなことにもならない?」
「ならない」

むぅ、とちょっと考える。
というか、もう考えるまでもなくて、最後の決心をつけるため。

「じゃ、いいよ」

そう答えると、ふっと男の表情が柔らかいものになった。
唇の端に微かに笑みを浮かべるさまは、とても綺麗で。
我知らず、頬に熱があがってくる。

「献血したって思えばいいことだしね」

頬に宿る熱をごまかすために、そんなことを言ってみるが、男からの答えはない。
代わりにそっと頭を抱えられ、男の顔が首筋に近づいてきた。
うわっ。
ドキドキする。
それは、血を吸われるんだ、っていう緊張からだけでなく――。

「んっ」

さっきみたいなチクリとした痛みがくるのかと思っていたのに、生暖かい濡れた感触がして、びっくりする。
だがすぐに、流れる血を舐めてるんだとわかる。

一通り舐め終えたのか、ようやくチクリとした痛みがくる。
思っていたほど痛くはないんだけど、でも、少しだけ体が竦む。
それから、コクコクと血を飲む音。そして、思っていたより早く男が離れていく。

「も、終わり?」
「あぁ」

献血より少ないかも。
そう思いながら、首筋に手をやる。が、さっきみたいに血が流れている感じはしない。

「咬み痕が少しついているが、な。大丈夫だ、それもすぐ消える」

そういうもんなんだろうか。
ま、首だし。血が流れ続けてたら怖いから、いいか。ばんそーこもいらなくていいし。
と呑気に思っていたら。
ドクン、と心臓が跳ねた。

なに、これ?

ドキドキと心臓が早鐘を打ち出す。
体の中心から、なにか熱いものが湧き上がってくる感じ。
それなのに、体が震えてくる。

熱い。
熱くて、たまらなくなる――。

と、男の声が聞こえてきた。

「ただ、ひとつだけ副作用みたいなのがあってな。血を吸ったあとの傷を治すための成分に、人間でいうところの催淫剤が含まれているんだ。だが、大丈夫。最後まで責任をとってやるから」

大丈夫って。
責任って。

「〜〜っ!」

声さえ出せない状態で、潤み出す目で、精一杯目の前の男を睨みつけた。