Stand By Me


あたりにたちこめるのは、静謐。
ここはいつ来ても、本当に変わらないな、と思う。
いや。
外観的にいえば、今日行われるクリスマス・ミサのためだろう、いつもよりも綺麗に飾りつけがしてあった。
ここは教会。
木の椅子に座って、ステンドグラスに差し込む柔らかな光を眺めていたところ。

「すみません、お待たせしました」

場に相応しい、穏やかな声がした。
視線を転じると、優しい笑みが目に映った。

「八戒」

黒い礼服に身を包んだ八戒は、ここの神父。
少し若いけれど、穏やかで優しい雰囲気は、本当に神父そのものって感じだ。

「ごめんね。クリスマス・ミサの準備で忙しいときに」
「いいえ。大丈夫ですよ。それよりどうしたんです?」
「うん、と。邪魔しちゃ悪いし、手短に聞くね。八戒、ここに聖水ってある? あったら少しわけてほしいんだけど」
「聖水……ですか?」

少し面食らったように八戒が言う。

「もちろんありますけど、なんに使うんです?」
「それは……えぇっと……」
「聖水ってことは、清めが必要ってことですよね。なにか悪いことでもあったんですか?」
「あ、ううん。悪いことっていうか……。ちょっと……ね。あ、でも、たいしたことじゃないんだ」

なんだかしどろもどろになってしまう。
だって、本当のことは言えないし。

吸血鬼につきまとわれて困ってます、なんて。
そんなこと言ったって、信じてもらえないと思う。
俺だって、吸血鬼なんてものが本当にいるなんて思ってもみなかったもの。

いや、でも。
言っちゃってもいいのかな。なんといっても、八戒は『神父さま』だし、そしたら追い払う方法も知ってるかもしれないし。
よく映画なんかで、神父って吸血鬼と対決してるし。

それに。
あの人、日の光、全然大丈夫なんだよね。にんにくも大丈夫だったし。
一般的に伝えられてるものって、結構、嘘が入ってるのかな。その点からいっても、神父だったら、そういうのの他になにか有効なものを知ってるかもしれないよね。

「ね、八戒。吸血鬼の苦手なものって知ってる? 聖水って効く?」
「吸血鬼、ですか?」

八戒は目を丸くする。
あちゃ。やっぱり、こんなことは非現実的だよな。
いきなり聞かれても、びっくりするだけだ。

「ごめん。なんでもないんだ、忘れて。とりあえず、聖水……」
「悟空」

ヘンなことを聞いたのをごまかすかのように、早口で言い募ろうとしたところ、八戒が静かに口を挟んできた。

「世の中には、不思議なことっていっぱいあるんですよ」
「八戒……?」
「吸血鬼に会ったのですか?」

単刀直入に聞かれた質問に、少しためらう。
なんだが、八戒がいつもと違って怖い顔をしてるから。

「……うん、って言ったら信じる?」
「あなたが言うからには、想像とかそういうものではないのでしょう。悟空、吸血鬼は危険です。ちょっと不自由ですけど、このまま二、三日、教会に留まってください」
「えっ? バイト、入ってるんだけど」

八戒の顔に苦笑じみた表情が浮かぶ。

「やっぱり、事の重大さがわかってませんね。命に関わることですよ。バイトは諦めてください」
「って、そんな大げさな。命に関わるなんて」

たしかに、あれは死ぬほど恥かしかったけど。
だけど、それで本当に死んじゃうわけじゃない。

「ま、とりあえずそれはおいといて。えぇっと、つまり、八戒が追い払ってくれるってこと? できるの?」
「できますよ。これでも経験はありますからね。追い払うというよりも、もう二度とあなたに近づけないよう、あるべき場所に還しましょう」
「あるべき場所……? 還すって……」

それって。
もしかして、殺しちゃうってこと?

「ダメっ!」

反射的に答える。

「ダメ、それはダメっ! そりゃ、まとわりつかれるのはごめんだけど、殺しちゃうのはダメ」

だって。
あんなに綺麗なのに……。

「いつまで待たせる気だ」

と、突然、声がした。
現れたのは、不機嫌そうに眉間に少し皺を寄せた――。

「三蔵っ」

びっくりする。外で待ってるように言っておいたのに。

「なんで入ってくるんだよ、馬鹿っ」

走り寄り、その体を押して外に出そうとするけれど、三蔵は言うことを聞いてくれない。

「お前が遅いからだろう。というか、いきなり馬鹿とはなんだ」
「んなこと、言ってる場合じゃないっ」

コツコツと、八戒が近づいてくる足音がする。

「八戒、やめてっ! これはダメっ!」

振り返って、通せんぼをするように両手を広げる。
だけど、八戒は止まってくれない。

「お願い、やめてっ!」

三蔵にしがみつく。
別に、俺がしがみついていれば、八戒は手を出せないだろうとか考えていたわけではなかった。
ただ、怖かった。
目の前から、この存在が消えてしまうかもしれないことが――。

「お前が神父か」

頭の上で声がした。
言葉と同時に、さらっと髪を撫でられた。
まるで大丈夫、と言われるように。

「はい」

八戒が答え――そして、沈黙が降りる。

「……帰るぞ」

ややあって、三蔵がそう言い、肩を押されるようにして歩き出した。

「三蔵……さん、でしたか? 僕は八戒と言います。よろしければ、また来てくださいね」

後ろから八戒の声が追ってきた。
だが、三蔵はなにも答えない。
黙したまま、教会の外にと出る。

冬にしては暖かな陽射しを受け、ほっと一息つく。
教会から出て、ほっとするなんて、初めてのことだ。
なんか安堵のあまり、その場に座り込みそうになったところ、ふわりと、抱きしめられた。

「ちょ……っ、三蔵っ」

ここ、往来の真ん中なんだけど。
これってすごく恥かしいことなんだけど。

「残念だが、神父も十字架もたいして役には立たねぇよ。そう簡単には離してやる気はねぇから、覚悟するんだな」

耳元で、低い声がした。
なんだか傷ついているような声。
……いや、きっと傷つけた。追い払うようなまねをして。
だけど。

「うん、わかった」
「なに……?」
「俺のそばにいなよ。俺がそばにいれば、八戒だって退治しようなんて思わないだろうから。俺のせいで、あなたが殺されでもしたら、後味悪いし」

ぽんぽん、と宥めるように背中を叩いて、少し離れる。

「でも、血を吸うのは必要最低限にしてね」

そう言うと、微かに三蔵が笑みを見せた。
綺麗な、花が咲くような笑みを。





それからしばらくして。
どういうわけか、みょーに仲良くなってしまった三蔵と八戒に、このときの言葉を後悔することになる。

つまり。
八戒が三蔵を退治する気はないことがわかった今でも、三蔵は俺のそばにいるということ。
あのときの言葉通り。