夏祭り


日は沈んだが、暗くなるには少し間がある薄闇の時間。
悟空は八戒と悟浄と手を繋ぎ、二人の間で嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねながら歩いていた。

「ほら、悟空。あんまりはしゃいでいると転びますよ」

と八戒がやんわりと注意するが。

「ま、いいじゃねぇか。楽しみなんだろ」

とりなすように悟浄が言う。

「それよりさ、あれ、やってやろうぜ」
「え? でも」
「ほら。せーの」

なんとなく渋っている八戒を無視して、悟浄が掛け声とともに繋いだ手を上に持ち上げる。ので、八戒もそれに合わせて手を持ちあげる。

「うわぁ」

すると、二人の間で悟空の体が宙に浮き、悟空は驚きの声をあげた後で楽しそうに笑う。

「すごい、すごい。ごじょー。はっかい。もいっかい!」
「もう。悟浄は。余計にはしゃがせてどうするんです」
「だからいいじゃねぇかって。三蔵はいまもあの調子だし、俺たちも忙しかったし、悟空はずっと1人で大人しくいい子にしてたんだから、少しぐらいはしゃいでもバチはあたらないって」

はあ、と八戒は溜息をつく。

「しょうがないですね。でもあんまり興奮させすぎないようにしてくださいね」
「わかってるって。ほら、悟空。もう神社が見えてきたぞ」

悟浄が指さす方向に、提灯だろう、仄かな灯りが連なっているのが見えてきた。
大きな赤い鳥居も見える。
行き交う人が増え、みんな吸い込まれるように鳥居をくぐって中にと消えていく。

夏祭りがあると聞き、仕事が終わらない三蔵は家に残して、悟浄と八戒は悟空を連れて近くの神社に向かっていた。
近くといっても、三蔵の家からは最寄駅を挟んで反対側なので、あまり馴染みのない場所だ。
神社があること自体、八戒と悟浄は今日、初めて知った。
鳥居をくぐると、参道の両脇に屋台がずらりと並んでいた。

「ふわぁぁ」

大きな金色の目がさらに大きく見開かれる。

「人も、お店も、いっぱい」

割と大きな神社だった。
結構、人出が多い。というか、夜になるにつれ、人が増えてきているようだった。
物珍しげに辺りをきょろきょろと見回していた悟空だったが、突然、足を止めた。

「どうかしましたか?」
「なんか食いたいものでもみつけたか?」

保護者二人が声をかける。悟空は小首を傾げ、それから何を追うように視線を動かした。
その視線の先は。

「風鈴屋さんですか。風流ですね」

涼しげな音を立てる風鈴が並んでいた。悟空は風鈴の音を聞き取って、不思議に思ったらしい。

「きれぇ……」
「そうですね」

きらきらと顔を輝かせて見ている悟空の様子を、八戒は優しく見守る。

「そうだ。帰りに三蔵にお土産として買っていきましょうか」
「うん!」

そう提案すると、さらに悟空の笑みが広がった。

「おぉっと」

そこに人に押された子供が倒れ込んできた。悟空にぶつかって、二人とも倒れそうになったところを悟浄が支える。

「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」

礼を言って去っていく子供に、悟浄は手を振って答える。

「にしても、ホント人が増えてきたな」

さっきよりも人混みがひどくなってきたようだ。

「そうですね。思っていたより大きなお祭りなんですね。悟空、はぐれないように僕か悟浄かどっちかと必ず手を繋いでいてくださいね」
「うん」
「もし万が一はぐれたら……そうですね。この風鈴屋さんの前にいてください。鳥居から近いですし、ここの場所、覚えていられますよね?」
「大丈夫」

コクンと神妙な顔で悟空が頷く。

「あ。りんご飴」

が、長くは続かない。行き交う人が持っていたりんご飴に目がいく。

「欲しいか?」
「うんっ!」
「よし。買ってやろう」
「もう、悟浄は」

二人してりんご飴の屋台に向かうのを、ちょっと呆れた顔をしつつ八戒が続く。
そうやって屋台を冷やかしつつ、奥にと歩いていく。

「焼きそば!」
「って、まだ食うのか?」

りんご飴、たこ焼き、綿菓子、フランクフルト、その他もろもろ。
そのちっさい体のどこにおさまったのかという量を、悟空は既に食べていた。

「あっちのかき氷も!」
「はいはい。そっちは僕が買ってきましょう」

普段はもうその辺で、というところだが、もともと悟空はよく食べる方だし、寂しい思いをさせていたというのが根底にあるのだろう。珍しく八戒が悟空を止めることなくその願いを聞き入れる。

「何味がいいですか?」
「んと、青いの」
「わかりました」

八戒が離れていく。

「悟空。やきそばは1つでいいよな。みんなで食おう」
「うん」

悟空もお腹がすいているからと欲しいと言ったわけではなく、祭の雰囲気に飲まれて食べたいと言ったのだろう。素直に頷く。

「おっちゃん、やきそば1つね」
「はいよ。いま作ってるんで、ちょっと待ってね」

悟空は悟浄の横に立って、屋台のおじさんが器用にヘラを動かして焼きそばを焼いているのを見ていたが、その視界にふわりと白いものがよぎって、そちらに目を向ける。
と、そこに猫がいた。

白い綺麗な猫が、じっとこちらを見つめている。
が、不意に身を翻すと、屋台と屋台の狭い間を抜け、その奥の木々の陰に入っていってしまった。
悟空は、悟浄の服の裾を掴んでいた手をするりと離し、あとを追いかけていく。
何かをしよう、と思っていたわけではない。ただなんとなく追いかけていく。
と、木々の間をちょっと行ったところに、猫が立ち止まっていた。

不用意に近づくと逃げてしまうかもしれない。悟空はその場にしゃがみこんだ。
気配に気付いたのか、猫が悟空の方を振り向く。
じっと見つめてくる。ので、悟空もじっとみつめ返す。
と、猫が近づいてきた。ある程度近づいてきたところで、悟空は手をさし出す。猫は指先の匂いをくんくんと嗅ぎ、それからすりっと体を押しつけてきた。
にゃあ、と小さく鳴いて見上げてくるのの、頭をなでる。

ふわふわで温かい。

撫でていると、その手にじゃれるようにしてくる。可愛い。
そんな風に遊んでいたが、しばらくしてすりっと一度懐いてから猫が離れていく。

「おうちに帰るの?」

と聞いたところ、にゃあと答えが返ってきた。

「そっか」

自分も帰らなきゃと立ち上がったところで。

――あれ? ここ、どこ?

自分のいるところがわからないことに気付く。
はぐれないように手を繋いでいなさいと言われたのに。
泣きそうになるが、足元に柔らかくて温かいものが纏わりついてきた。

先程の猫だ。

そして『こっちだよ』というように歩き出す。
それについて木々を抜けると、屋台が並んでいる参道に出た。
ほっとするが、人がいっぱいで八戒も悟浄もどこにいるのかわからない。
と、人ごみを縫って、猫が走り出した。
思わず追いかけると、チリンという音が聞こえてきた。

風鈴。

さっき八戒に教えてもらったやつの音だ。
やがて風鈴の屋台が見えてきた。そこで猫は立ち止まり、悟空を待つかのように振り返る。
風が吹いて、一斉に涼やかな音が響く。ゆらゆらと揺れるガラスが灯りを反射してキラキラと輝く。

「きれぇ」

追い付いた悟空が風鈴を見ていると、名前を呼ばれた。

「悟空」

八戒と悟浄が走り寄ってくるのが見えた。

「よかった。みつかって」
「はっかい、ごじょー」
「ったく、心配したぞ。もう手を離すなよ」
「ごめんなさい」

ぎゅうと抱きしめられながら言う。

「それにしてもちゃんと覚えてられたんですね、この場所。えらいですね」
「猫が案内してくれた」

と言って周囲をみると猫の姿がない。

「あれ?」
「それは神様のお使いだったのかもしれませんね。ここの神社、猫をお使いにしているみたいなので」
「おつかい?」
「神様の言葉を伝えたり、神様の代わりに手助けをしてくれる動物のことですよ」
「そうなんだ」
「お参りにいって、お礼を言いましょうね」
「うん!」

にこにこと笑う悟空の頭に手を置いて悟浄が言う。

「じゃ、土産を買ったら、お参りして帰るか」
「そうですね。もうお腹もいっぱいですし、人混みが本当にひどくなってきていますからね。悟空、どれがいいですか?」
「うーん」

難しい顔で風鈴を見あげている悟空を悟浄が抱き上げてやる。
目の高さに風鈴が来て、悟空は嬉しそうに笑う。
そして指さしたのは透明なガラスの風鈴ではなく、白い猫を模したものだった。

「それがいいのか?」
「うん。あのね。三蔵みたいに綺麗な猫だったの」



その風鈴は夏の間中、軒に飾られていて、悟空は嬉しそうに時折見あげていた。