プレゼント(前)


「さんぞーっ!」
 ノックしようとした扉は予告もなく内側から開かれた。
 満面の笑顔を浮かべ飛びついてこようとした養い子を、三蔵は片手を前に出して止めた。じたばたと近づこうともがいている様子が手を通して伝わってくる。
 こういうとき、三蔵は自分が飼っているのは猿ではなく、犬だったろうかと思う。
 その行動は留守にしていた主人を出迎える犬と本当にまったく同じだ。
「落ち着け」
 とりあえず制する。と、『待て』と言われた犬よろしく悟空の動きが止まった。
「お前なぁ、自分のナリを見てからそういうことはしろ」
 三蔵は悟空の額に当てていた手を離した。キョトンとした顔で悟空は三蔵を見上げる。
「口の端、クリーム」
 三蔵はそう言うと、悟空の肩を掴んで顔を寄せた。
「さ、さ、さ、さんぞ……っ!」
 三蔵がクリームを舐めとる。唇の端を通っていく舌の感触に、悟空は耳まで真っ赤になった。
「そのままだと法衣が汚れるだろうが」
 そんな悟空の様子を見やり、さらりと三蔵が言う。
「……意地悪だろ、それ」
 まだちょっと頬を上気させながら、むくれたような顔で悟空が言う。
「何が」
「『だたいま』ならちゃんとして」
 悟空の台詞に三蔵はふっと微笑むと、悟空を抱き寄せてその唇にキスを一つ落とした。
「おかえり」
 悟空は嬉しそうに笑うと、三蔵の腕に両手を絡めた。そしてそのまま引きずるように中に入っていく。
「いらっしゃい、三蔵」
 部屋に入ると、コーヒーを手にした八戒が出迎えた。三蔵が椅子に座るのと同時にその前にコーヒーを置く。
「相変わらず仲の良い親子なことで」
 部屋の反対側から悟浄も声をかける。
 ここは森の中にある悟浄の家。二日ほど前から悟空はここにいた。三蔵が泊りがけで法事に行くことになり、預けられたのだ。
 寺院に置いていっても厳しい目に晒すだけだし、何よりも八戒も悟浄も悟空が来るのを歓迎していたので、この二人と知り合ってからというもの、三蔵は自分が寺院を留守にするときはよく悟空を悟浄宅に預けていた。
 拾ってきてからもうだいぶ経つというのに、悟空はいまだに三蔵が一人で出かけようとすると不安げに瞳を揺らす。
 その度に置いていかないと約束しているにも関わらず。
 その約束を信じていないというわけではないのに。
 だが、悟浄と八戒に預けるようになってから、その瞳の不安そうな色は少し薄れた。とはいってもまったくなくなることはなく、悟浄宅にいてもずっと悟空が心待ちにしているのは三蔵の迎えであった。
 そして、三蔵の気配を感じ取ると、一目散にドアに向かっていく。そのため、扉はいつも三蔵がノックする前に悟空によって内側から開けられる。
 あまりにもタイミングよく、まるで三蔵の姿が見えているかのような悟空に、悟浄などは自分達を驚かすために、三蔵と悟空が予め時間を決めて示しを合わせているのでは、とまで疑っていた。だが、土砂崩れなどの自然災害で三蔵が予定外に遅くなったときもそれは同じだった。
 どうしてわかるのか。
 それは悟空当人に聞いても、わからないという答えだった。ただ三蔵が近くにいればわかるのだと言う。
 最初のうちは悟浄も八戒も不思議がっていた。しかし、それが何度も続くと驚きも薄れ当たり前のようになってくる。慣れというものは恐ろしいものだ。今では悟空が飛び出していくと、三蔵が帰ってきたんだな、と思うだけである。
 悟空は三蔵から手を離すと、さっきまで座っていた席にまた腰をおろした。その目の前にはケーキが置かれていた。
 それはイチゴがのった普通のケーキだったが、ショートケーキではなく、サイズは小さめながらも、もとはホールだったらしい。残りは四分の一ほどになっていた。しかも、八戒の前にも、悟浄の前にも何も置かれていないところを見ると悟空が一人で片付けているらしかった。
「帰るの、これ、食べ終わってからでいい?」
 悟空が三蔵に聞く。
「あぁ」
 目の前に置かれたコーヒーに手を伸ばしながら三蔵は答えた。
「三蔵も食べる?」
 悟空は三蔵の目の前に、フォークで突き刺したケーキを差し出した。途端に三蔵が嫌そうな顔をした。悟空は予想していたらしく、ちょっと笑うと特に何も言わずにそれを自分の口に入れた。
「ケーキ、気に入りました?」
 美味しそうにケーキを頬張る悟空を、優しげな表情で見守りながら八戒が聞いた。
「うんっ!」
 悟空から元気一杯の返事が返ってきた。
「悟空の誕生日はもうすぐでしたよね。では、プレゼントにスペシャルなのを焼いて持って行きましょう」
「あ、えーと」
 悟空は困ったような顔をした。
 当然、喜ぶと思っていた八戒と悟浄は不思議そうな顔で悟空を見た。
「お前、遠慮してるのか? 普段は遠慮のカケラもないクセに」
 さんざん食料を荒らされている悟浄が言った。
「そういうわけじゃないけど……」
「誕生日は、ケーキでお祝いするのが普通なんですよ。だから遠慮はいりません」
「そうなの?」
 悟空は大きな金色の目をさらに大きく見開いて八戒を見た。
「って、お前、祝ってもらったことねぇの? まぁ、三蔵サマったら冷たい」
「気色悪い声、出すな」
 悟浄の言葉に、三蔵が苦虫を噛み潰したかのような表情を見せる。
「まぁ、お寺で誕生パーティってのもやりにくかったのかもしれませんねぇ」
 のほほんと八戒が言う。
「じゃあ、ここでやりましょうか。悟空の誕生日パーティ。飾りつけをして、ご馳走を用意して」
「って、八戒さん、ここは俺ン家。そういうことは勝手に……」
「まさか、悟浄、嫌とか面倒とかは言いませんよね?」
 八戒がいつもの笑顔を浮かべた。
「まさか」
 悟浄はぶんぶんと頭を横に振った。
「決まりですね。悟空、誕生日プレゼントに何でも好きなものを作りますよ。まずはケーキですね。その他にリクエストがあったら言ってください」
「えっと、ね、八戒」
 悟空は、ちらりと三蔵の方を見てから、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「誕生日のプレゼントは三蔵から貰うからいいんだ」
 食べ物が絡んでいるというのに、申し出を断るなんて悟空らしからぬことだった。食べることよりも三蔵からのプレゼントの方が比重が上ということか。それも驚きだったが、それにもまして……。
「へぇ。プレゼントはあげてるのね、三蔵サマ」
 悟浄が意外、という表情を隠さずに言った。
「当たり前だろう。プレゼントは三蔵からじゃなくちゃ意味ないもん。でも……」
 悟空はちょっと恨めしげに自分の目の前のケーキを見つめた。
 やっぱり気になるらしい。
「こいつらがやりたいって言うならやらしておけ」
 と、三蔵の声が響いた。相変わらずの仏頂面は全然崩れていない。
 だが、悟浄と八戒は顔を見合わせた。何のかんの言っても、この保護者は自分の養い子には甘い。
「でも、三蔵……」
「別にそれを誕生日プレゼントの代わりにしようなんて言わねぇよ」
「本当に? ご馳走をリクエストしても、三蔵からのプレゼントはなくならない?」
「あぁ」
 悟空の顔が輝いた。