その瞳がもたらすものすべてに(1)
気がつくと、世界は闇に包まれていた。
いや、違う。
目に圧迫感。目蓋の上に何か置かれている。
無意識のうちに手で触ると、柔らかな感触が返ってきた。これは……包帯?
あぁ、そうか。
記憶が一気に蘇ってくる。目の前に迫るナイフの煌き。
「気がついたか」
不意に、低い、よく通る声がした。声がした方に顔を向ける。でも、何も見えない。あるのは闇だけ。
「さんぞ……?」
どこにいるの? 姿が見えない。
姿が見えないと、本当にいるのかどうかわからない。先程、聞いた声さえも幻のようで。
三蔵、どこ?
光が見えない。大好きな金色の光が。
――コワイ。
と、首筋に手の甲がそっと押し当てられた。三蔵の手だ。
ほっと息をつく。
良かった。ちゃんと、いるんだ。
「少し熱があるな……」
だが、手は呟きとともに離れていった。
「三蔵っ!」
思わず跳ね起き、追いかけて伸ばした手は空を掴む。
やだ。
どこにいるの、三蔵。怖い。怖いよ……。
「こっちだ」
伸ばした手をとられ、引き寄せられた。
「三蔵、三蔵、三蔵……」
しがみつくようにぎゅっと服を掴んで、何度も何度も名前を呼ぶ。呼んでいないと、消えてしまうんじゃないかと思う。
「落ち着け、大丈夫だ」
柔らかく抱きしめられ、ゆっくりと優しく頭を撫でられる。
普段ならそれだけで安心するけど、でも、今は怖いのが消えない。
あの岩牢にいるときみたい。
暗く閉ざされて、誰の姿も見えない。
いや、あの時よりも怖い。
この温もりが離れていってしまったら。暗闇のなか、この人の姿を捜せない。追いかけられない。見失ってしまう。
――イヤダ。
「どこにも行かねぇよ。だから、安心しろ」
ぎゅっと抱きしめられ、耳元で囁かれた。
「三蔵……」
どうしていつもこの人は、欲しい言葉をくれるのだろう。
ふっと力が抜けた。
しばらくそのままでいた。三蔵の腕の中は心地よい。ずっと、ずっとこうしていて欲しいと思う。
「お前、こんな風になるくらいなら、どうしてあんなことをした?」
やがて静かに三蔵が問いかけてきた。
「……わからない」
少し考えて答えた。
いつものように、僧達に難癖をつけられた。
いくら日常茶飯事とはいえ慣れるものではないが、弟子でもないのに三蔵のそばにいるということが面白くない、という気持ちはわからなくはない。
だから、たいていの場合は無視してきた。
今回のも、幾度となく繰り返されてきたちょっとした嫌がらせのひとつに過ぎないはずだった。
目の前にナイフを突きつけられるまで。
でもそれでもたぶん、ただの脅しだったのだろう。使う気なんてなかったはずだ。
だけど、自分からその刃に身を投じた。
「なんだかカッとして、たぶん、何も考えてなかったんだと思う」
すると、頬に両手を添えられて、顔をあげさせられた。
本当なら、三蔵の顔が見れるはず。でも、今は暗闇だけ。
綺麗な紫暗の瞳も、輝くような金色の髪も。凛とした横顔も、本当に滅多には見せてくれない優しげな表情も。
もう二度と見れない。
そんなこと、考えてもいなかった。
「三蔵……」
その姿が今はこんなにも恋しい。
「そんな情けない声を出さなくても」
三蔵がふっと苦笑めいたものを浮かべたのが気配でわかった。
「傷は目蓋を切っただけだ。といっても深いから、しばらくその包帯はとれねぇがな」
「目蓋? じゃあ、目は?」
「大丈夫だ。また見えるようになる」
そうか。
じゃあ、最後の瞬間、目を瞑っちゃったんだ。
「悟空?」
訝しげな声が降ってきた。
そっと、その胸に顔を埋めて、両手を背中に回して抱きついた。
「しばらく、このままでいて」
囁いて、これ以上そばに寄れないくらいまで身を寄せた。
三蔵。誰よりも大事な人。それなのに――。
目の前に突きつけられた苦い現実。
それは、とても哀しかった。