夜に咲く花(1)
「あれ?」
第一声はそんな間抜けな声。
この部屋にいるのは、誰もその正体どころか姿さえ見たことのない謎の怪盗――のはずだった。
だが、目の前にいるのは、ただの子供。
そんなことは欠片も感じさせない。
「よくわかったね、ここが」
驚いたような表情が無邪気な笑顔に変わった。
「どうやって見つけたの? あなた、警察の人でしょ? ここは警察に渡されている図面には載っていない隠し部屋のはずだけど」
「お前こそなんでここにいる? この家の子供か?」
子供がいるという話は聞いていないが、他にここに子供がいる理由が思いつかない。
まさかこんな子供が怪盗だというわけでもあるまいし。
「違うよ。そもそも、俺、子供じゃないし。もう18なんだから」
「18? それは年齢か?」
「そ。子供じゃないでしょ?」
にこにこと無邪気に笑う顔はどうみても13、4歳にしか見えない。
が、そんなことはどうでもいいことだ。
なんとなくこの子供のペースに乗せられてしまっているが、この子供の歳など関係ない。関係があるのは、なぜこの部屋にいるのかということ。
「この家の子供じゃないなら、どうしてこの部屋にいる? そもそも、お前は何者だ?」
「名前?」
ぱっと、子供が嬉しそうな顔をした。
「名前を聞いてるの?」
微妙に違うが、話が進まない。とりあえず頷いた。
と、子供は嬉しそうな顔のまま、まるで宣言するかのように誇らしげに告げた。
「俺の名前はね、悟空」
それから、こちらを窺うようにじっと見る。
何かを期待するような目。
「悟空?」
ので、仕方なく名前を繰り返してやる。
すると、花が綻ぶように、子供は本当に嬉しそうな笑顔をみせた。
今までもにこにこと笑顔の大安売りをしていたが、このときに見せた笑顔は心からの幸せそうな笑顔。
驚いた。
こんな笑顔を向けられたことなど、一度もない。
あまりにも綺麗な笑顔に、不覚にも目を奪われた。
「でね、なんでこの部屋にいるのかっていうと、あれを貰うため」
だが、子供が指差した方に視線を向け、一瞬で現実に引き戻された。
子供が指差したのは、子供が手を伸ばしても届かない位置に置かれている宝石。
「お前、まさか本当に『斉天大聖』か?」
「あぁ、それはもうひとつの名前」
何でもないことのようにさらりと言い、にっこりと子供が笑った。だが、その笑顔が凍りつく。
「ダメっ! 動かないでっ!」
そばに寄ろうとした俺を止めようとするが、既に遅し。
辺りは闇に包まれた。
斉天大聖。
宝石ばかりを狙う怪盗の通り名。
犯行の際には必ず予告状を送りつけ、その予告状に記されている署名からそう呼ばれている。
神出鬼没で、どんなに厳重に警備をしても、予告した通りに宝石を盗んでいく。
いつしかその名は世間一般にも広がり、賞賛する向きも現れるほどだ。
それにもしても、ふざけた名前だと思う。
天に斉しいとは。
それを自分で名乗るとは。
そういえば、プロファイルに「子供じみたところがある」という項目があったのを思い出した。
まさにその通り。
まったくの子供だったとは。
「っつぅ」
床から起き上がり、落ちた途端、したたかに打ちつけた腕をさする。
「大丈夫?」
隣で子供の声がした。
薄明かりさえない、まるっきりの闇の中。自分の鼻の先すら見えない状態で、声だけでは、子供が近くにいるのか、遠くにいるのかさえもわからない。
とりあえず、声がしたと思われる方に話しかける。
「たいしたことはない。それより、お前のほうこそ大丈夫なのか?」
すらすらと他人を気遣う言葉が出てきた。これは闇のせいだからか。
俺を知っている人間がいたら、さぞかしびっくりするだろうと思う。
自分でも少し驚いているくらいなのだから。
「ん、平気。ちょっと腕を痛めたみたいだけど……」
微かに震えているような声が返ってきた。
その声を頼りに手を伸ばして、子供の姿を探す。
「ごめ……。俺、ちょっと……限界かも……」
弱々しい声。
「そんなに痛いのか?」
そんなに酷く痛めたのかと、罪悪感が押し寄せてくる。
たぶん、その怪我は俺のせいだから。
目の前にいる子供を捕まえることしか頭になかった。もっとよく考えるべきだった。あんな隠し部屋を作るくらいだ。何かしらの仕掛けがあってもおかしくはない。
足を踏み出した途端、床が消えてなくなった。
子供が手を伸ばしてきて、手首を捕まえられた。
だが、勢いも加わって支えることはできず、一緒になってここに落とされた。
「おい、大丈夫か?」
声が聞こえてこない。
それほどの痛みなのだろうか。
「何でもいいから、声を出せ。でないと、どこにいるかわからん。痛いのか?」
何度目かに腕を振り回したときに、微かに震える体に指先が当たった。
途端に、ピクリと大きくその体が跳ね上がった。
みつけた。
そう思う間もなく、体ごと、子供がぶつかってきた。
「何を……っ!」
勢いで、床に押し倒されそうになる。
咄嗟に手を出して体を支え、文句を言おうとしたところで、ぎゅっと抱きつかれた。
「やだ、怖い……」
震える声が耳に入る。
「怖い、怖い、怖いよっ」
声はだんだん大きくなり、涙が混じってくる。
パニックを起こしかけているのだとわかった。
「こわ……っ!」
叫び出される前に唇を塞いだ。