夜に咲く花(2)
最初は本当にただ単に口を塞ぐため、だった。
だが、触れた唇の柔らかさに、頭の芯がクラリと痺れた。
それから奪いとるように口づけた。
悲鳴も。何もかも全てを。
背中に回った手が、ぎゅっと握られたのがわかった。
が、すぐに強張りは溶けていく。
甘く溶けていくかのように。
「ん……」
微かな吐息に、ようやく唇を離すと、崩れ落ちるように身を預けてきた。
少し酸欠状態なのかもしれない。
何度も大きく息をついている。
「もう怖くはないか?」
そう聞いたのは、他に言い様がなかったからだ。
こんな子供相手に本気で口づけるなどと。
「怖くない……けど……」
拗ねたような口調に、文句のひとつでも言われるのかと思った。
だが、子供はまるで小動物が甘えるかのように擦り寄ってきた。
「名前、知りたい。あなたの名前、教えて」
「三蔵だ」
「さんぞう……」
呟く声が聞こえる。
それからクスクスという笑い声とともに、さらに近くにと身を寄せてきた。
「三蔵、大好き」
「はぁ?」
思いもかけないことを突然言われて、自分でも間抜けと思う声が出る。
「大好き」
繰り返して、子供が言う。
「ちょっと待て、いきなり何だ? 何でそうなる?」
「だって、綺麗だし、優しいから。だから、大好き」
表情は見えないが、満足そうに腕の中に納まって、無邪気に子供は告げる。
だが、それはまるっきりの子供の好意。
なんとなくため息をつきたくなるような心境に陥り、それに気づいて少し愕然とする。
一体、何を期待しているのだろう。
「……腕、大丈夫か?」
思考を切り替えるべく、そう問いかけた。
「これくらいなら、全然平気。体に受ける痛みは、たいしたことないんだ。だけど」
不意に自分が今いる場所を思い出したのか、子供は少し震えて、ぎゅっと抱きついてきた。
「暗闇が怖いのか?」
「うん」
しがみついてくる様は、甘えて、というよりも小さな子供のようで、それだけに切羽詰まっている感じがした。
安心させるように、軽く背中を撫でてやる。
「そんなんでよく泥棒がつとまるな」
「泥棒じゃない。怪盗だって」
「どっちでも同じだろ。どっちにしたって暗闇が怖いのは致命的だろうが」
「暗いところに閉じ込められているのが怖いの。気がついたら、真っ暗闇の狭いところに閉じ込められていて、それで死にかけたことがあったから……」
震えが大きくなる。
一体、何があったのかと思うが、こんなに震えているのに、思い出させるのも酷だろう。
背中を撫でていた手をとめて、抱きしめてやる。
と、腕の中でほっと安堵のため息をついたのが感じられた。
「三蔵、俺の名前を呼んで?」
身を委ねながら、子供が言う。
「ね、呼んで?」
再度促されて、少し逡巡する。
「……悟空」
だが、結局、言われたとおりに名前を呼んでやる。
「もう一回」
「悟空」
人の言いなりになるなど、本来は決してない。だが、あまりに必死な感じがして、拒めなかった。
「ありがと。もうずっと名前を呼んでもらうこともなかったから、すごく嬉しい」
小さく、嬉しそうな笑い声が聞こえる。
少し落ち着いたのか、それから不思議そうに問いかけてきた。
「ね、三蔵。三蔵はどうやってあの部屋を見つけたの? あの部屋は隠し部屋だから、この家の当主以外は知らないはずで、当主が警察に教えるとは思えないんだけど。それとも、三蔵って警察の人じゃないの?」
「俺はれっきとした警察の人間だ」
「似合わないね」
「ほっとけ」
似合わない。一番そう思っているのは自分自身だから否定はしない。
「でも、本当によくあの部屋をみつけたね」
「あの部屋に通じる部屋に設置されていたモニターが歪んでいたからな」
「嘘。歪んでなんかないはずだよ」
「やっぱりお前か。入る姿を見せないために、ダミーの映像にすり替えたな」
「そうだけど。今まで何度も同じ手を使ってきたけど、誰も気づかなかったよ」
「鈍いだけだろ」
「いや、ぜってぇ気づかないって。三蔵が鋭すぎ。入り口をみつけたのも、その鋭い目で?」
「壁の反響音。そこだけ違っていた。もともと、ここの当主が一癖も二癖もあるっていうのはわかっていたから、隠し部屋があってもおかしくないと思っていた」
「凄いね」
ほぅ、と悟空が感心したようにため息をついた。
「それに、三蔵って耳がいいんだね。じゃ、二人で協力すればここの出口がみつかるかも」
「出口?」
「そ。どこかに捕まえた人間を外に連れ出すための出口があるはずだよ。これ、永遠に閉じ込めるために作ったものじゃないから。といっても、内側から開くとは思えないけど、たぶん開けるときには油断しまくってると思うから、隙をつくことはできると思う」
「隙をついて逃げ出す、か? なんで俺が泥棒を逃がさなくちゃならない?」
「でも三蔵は死にたくないでしょ?」
「は?」
「俺はね、知りたいことをしゃべるまでは殺されないと思う。でも、三蔵は警察の人間だし、すぐに殺されちゃうと思うよ」
「……それだけヤバイことをここの当主はしているってことか?」
「そう」
「そして、それにお前が関わっている」
「片棒を担いでいるわけじゃないけどね。むしろ敵」
「それは宝石に関わることか?」
「ご明察」
クスリという笑い声とともに答えが返ってきた。
斉天大聖は宝石ばかり狙う怪盗。
ただ綺麗だからというだけではなく、それには意味があるということ。
「……金蝉」
ある人物の名前を口にしてみる。
と、ピクリと華奢な体が震えた。