「もう、抱かない――」

 それは青天の霹靂。

雷、のち晴れ(1)


「……何?」
 大きな金目をさらに大きくして。
 言われたことの意味がとれずに、悟空は呟いた。
 ここは西へ――牛魔王の討伐に向かう途中の宿屋の一室。
 ほぼ一週間ぶりのまともな宿屋。
 いつの通り、悟空は三蔵と同室。
 そうきては、夜にすることなど、決まっていると思っていた。
 だから、おとなしくベッドの縁に腰掛けて、風呂からでてくる三蔵を待っていたというのに。
 久しぶりに触れられるのだと、手を伸ばしたのに。
 言われた言葉が。
 もう、抱かない――?
「ちょっと、三蔵っ!」
 するりと悟空の横を通り抜けて、空いているもう一つのベッドに向かう後ろ姿を声が追う。
「何で? いきなり、何なんだよ?!」
 だが、その声を無視したまま、三蔵はベッドに横になって、悟空に背を向けてしまった。
「三蔵っ」
 呼びかけにも答えはない。
「何だよ。俺、何かしたか?」
 悟空の頭の中を、さまざまな事柄が駆け巡る。
 心当たりはありすぎて、だが、ありすぎる故に、いまさらそんなことの一つや二つで、あんなことを言われるとは思えない。
 もう、抱かない、などと。
「三蔵、まさか――」
 と、何か思いついたのか。不意に悟空の声が、真剣なものになった。
 そして、一瞬の沈黙の後、恐る恐る口を開く。
「枯れちゃった、とか?」
 スパーン。
 悟空の一言が言い終わるのが早かったか、ハリセンが振り下ろされるのが早かったか。
「いってぇ〜」
 見事にクリティカルヒットされた頭を抑えて、悟空はその場にしゃがみ込んだ。
 涙が滲むくらいの痛さ。手首のスナップがいつもより効いていたのか。普段の数倍は衝撃が激しかった。
「誰が、枯れるか」
 ベッドの脇に仁王立ちになっている三蔵からは、怒りのオーラが立ち上っているようだ。
 だが、それに負けてはおらず、悟空はキッっと視線をあげると、一気に捲くし立てた。
「だって、一週間ぶりだぞ。それで、シないなんて、三蔵らしくねぇじゃん。いつもならそんなに間があいたら、野宿のときだって、何かと理由をつけてスるくせに。なのに、抱かない、なんて。せっかく二人っきりで、まともな宿で、絶好の機会なのにっ」
「……あのな。人のことを何だと思ってやがる」
 がっくりと三蔵が肩を落とす。
「だって、本当のことじゃん。いつもだったら、嫌だって言っても、有無も言わさずスるじゃんか。それに、それに……」
 悟空が俯いて、小さな声で言った。
「俺だって、楽しみにしたのに」
 頬、どころか耳までが赤く染まる。
 でも、楽しみにしていたのは、本当だ。
 素肌が触れ合う瞬間を。互いの熱が一番近くに感じられる瞬間を。
 満たされるような気がするから。
 触れていないと、乾いていくような気がするから。
 乾いて、水がもらえない花のように萎れてしまう気がするから。
 なのに、もう抱かない、なんて。
 そう考え、ふと、言葉がひっかかった。
 もう――?
 もうってことは、これから先、ずっと――?
「……なんで?」
 悟空の体が震え出す。
「なんで、いきなり、こんな……」
 驚愕に見開かれる瞳に涙が溜まってくる。
 ゆらゆらと揺れる、その頼りなげな瞳に、三蔵が声をかけようとした瞬間。
「三蔵の浮気者っ!」
 悟空はいきなりそう叫ぶと、うわーん、という泣き声も甚だしく、部屋を飛び出ていった。