月裸足とアスファルト


ひたひたとアスファルトを蹴る音が人通りの途絶えた夜道に響いていた。
羽織った白いシャツを翻して、駆ける。
何度も後ろを振り返りながらも駆ける速さは緩むことなく。

走って、走って─────

息が出来ない程走って、もつれた足はたたらを踏み、アスファルトに身体を投げ出した。

ぜえぜえと自分の息の音しか聞こえない。
耳元でガンガンと酸素を求めて脈打つ心臓の鼓動が鳴っていた。
汗を拭うようにして見上げた空は晴れて半月が浮かんでいた。

滅多に受けないマスコミの仕事。
偶々インタビューではなく、対談の仕事で、その相手が以前から興味のあった相手であったから気紛れに受けた。
対談の仕事が終わって、会場が料亭であったがためにそのまま酒を飲むことになって。

忘れていた。
警鐘は鳴っていたはずなのに、忘れていたのだ。

一緒に暮らす彼らのお陰で、すっかり油断して忘れていたのだ。
自分の置かれた状況を、世間の目を。
自分の容姿の影響力を。
が、ために今までどんな目に遭って来たのかを。

忘れていたから警戒を怠っていたわけではない。
油断していたはずも多分ない。
ないけれど、気付けばベットの上に色に狂った対談相手に組み敷かれていた。
無骨な手でシャツのボタンを引きちぎられ、脂ぎった手が肌を這い回った。
悪寒と嫌悪とに身体を震わせる姿を勘違いした相手が隙を見せた瞬間、のし掛かる酔った身体を力一杯叩き伏せて着の身着のまま飛び出してきた。

誰何する声を振り切って。
止めようとする手を振りほどいて。

泣きたい気持ちと触れられた肌の気持ち悪るさ。
まとわりつく悪寒と嫌悪感。
喉に込み上げてくるモノを呑み込んで走った。

走って、走り通して───。

背中に当たるアスファルトの冷たさに恋人の手のひらの温度を思い出し、三蔵は目を閉じた。
そして、

「………悟空…」

微かに震える声で恋人の名前を三蔵は呟いた。
以前とは違う己の心の欲求に、苦いモノが込み上げてくる。
けれど、どうしたって、何をおいても今、自分が欲しているのは彼なのだから。
走りすぎて悲鳴を上げる身体を三蔵はのろのろと起こした。
追っ手は来ないだろうが、見つかるわけにはいかない。

「…っくそっ」

震える身体に悪態を吐いて、三蔵はアスファルトを叩いた。

───と、

「三蔵!」

笑う足を叱咤して何とか立ち上がった時、聞こえた声に三蔵は振り返った。
そこに降り立った姿を見た瞬間、疲れ切った身体は風を切った。

悟空が駆け寄る間もあらばこそ、三蔵は自分の名前を呼んで駆け寄ってくる恋人を抱きしめた。

「──っ…三蔵?」

ぶつかるように抱きつき、抱きしめてきた三蔵の身体を悟空は揺るぎない力で受け留めた。
そして、ぎゅうぎゅうと力一杯自分に抱きついて、抱きしめる背中に手を回して宥めるように名を呼べば、

「早く連れて帰れ」

と、くぐもった声が聞こえた。
その声に含まれる震えに、悟空の金瞳が軽く眇められた。

三蔵が仕事に出掛けるのを見送った後、酷く胸がざわつく予感がした。
過保護だと、呆れる焔を放って、迎えに来て正解だった。
けれど、その迎えが遅かったために、悟空の大事な三蔵は傷付けられた。

そう、久しぶりの外での仕事で何があったのか、三蔵の肌から薫る香りで悟空には簡単に知れた。
三蔵の肌に触れた愚か者の始末は後でいい。
今は自分を欲して、日頃の押し殺した気持ちを顕わにしてくれている三蔵の方が大事だから。
愛しい人が無言で泣いているのだから。
だから、望むことは叶えてあげたい。

「わかった」

三蔵を安心させるように頷いて、悟空は三蔵の腰に手を回し、抱きしめたまま、夜空へ舞い上がった。



michikoさま/AQUA