süßer als Seufzer
華やかな宮中。
誰もがここに立ち入ることを夢見、一度立ち入ることを許されれば、二度と離れることのないようにと戦々恐々となる場所。
だが。
囚われの身としては、ただの枷にすぎない。
美しく飾り立てられた牢獄――。
「わざわざ呼び出してすまんな」
「いいえ」
御簾の内から声がかけられた。片膝をつき、頭を低く垂れたまま答える。
御簾越しとはいえ、天帝と直接言葉を交わせる人間は、この宮中には数えるほどしかいない。
大抵の人間は宮中に出仕しても、天帝の声を聞くことはないし、その姿を垣間見ることもない。かなり身分の高い貴族でも、天帝と面会する場合、言葉を交わすのは側付の人間を通してになる。
それゆえ、この立場を羨む者も、妬む者もいる。
茶番だ、と思う。
天帝と言葉を交わすことが何だというのだろう。
自由に。
ただ自由にこの空の下を歩くことに比べれば、何程のものでもない。
「元気にやっているか」
「はい」
「そういえば、この頃では、あちこちで浮名を流していると聞くが」
「天帝のお耳にまで届いておりますか。お恥ずかしい限りです」
「そなたがここに来てから七年。早いものだな、そのような噂を聞くことになるとは。気に入った者がおれば側女として仕えさせるが良い」
「いえ、いまはまだ……」
「いろいろと見て回りたい年頃か。まぁ、それも良い。儂にも覚えはある。しかし、そなたほどの男であれば、国に帰るとわかっていても、付いてゆくからという女はたくさんおるであろうな」
「それはどうでしょう」
答えながら、苦々しい思いを噛み潰す。
返す気はないだろうに。
人質としてここにつれてきたときから、返すことなど一度も考えたことなどなかろうに。
七年前。
この男は、歴史ある桃源国を滅ぼして諸国の反感を買うよりも、融合策を取った。
それを撥ねつけるだけの武力を桃源国は持っていなかった。
桃源国。
豊かで美しい国。
――俺の国。
取り戻すには、目の前のこの男を排除せねばならない。
そのための一番の近道は、あの巫子。
帝の行いが天に認められたときに現れるという巫子。
在位中に巫子が現れた帝は、天と同列であることが認められたとして『天帝』を名乗る。
何が天帝だ。
何が天に認められた行いだ。
たとえ天が認めようと、俺は認めない。
この男がしたことを。
溢れ出す怒りを抑えるために、浅く息を吐く。
ここで激昂するわけにはいかない。
と、不意に御簾の内で、微かに人が動く気配がした。
足音もしなかったが、ふわりと暖かな空気が漂ってきたような気がした。
不思議と心が凪いでいく。
耳に天帝の声が聞こえてきた。
「ところで昨日もどこぞに出歩かれておったのか?」
「はい。紅家の姫のところに。麗しい姫君との噂を聞きまして」
「ほう」
「朝まで姫の屋敷におりました」
「そうか」
「何か?」
「……いや」
天帝が言いよどむ。
だが、本当に言いよどんでいるわけではない。
顔を上げなくても、御簾越しに鋭い視線が投げられているのがわかる。
「昨夜、巫子の離宮に賊が侵入してな。賊の一人がそなたのような金の髪をしていたという証言があったのだ。知っての通り、この国には金の髪を持つものなどいない」
「それで、私を?」
「いや、紅家の姫のことは調べがついている。それに……」
何事が囁く声が聞こえた。
小さな声で話の内容までは聞き取れない。
だが、微かに漏れ聞こえた声から少年だとわかる。
そして、この声は。
「巫子も違うと言っているし、な」
天帝の言葉に驚く。
巫子が違うと言っている?
あの金色の瞳。
あんな瞳を持っているものは他にはいない。
あれは、巫子だ。
昨日、あの桜の木の下にいたのは巫子のはずだ。
確かに顔を見られたはずなのに。夜の暗がりとはいえ、何もわからぬ程の暗闇ではない。
あの時は事情もわからずに気まぐれで逃がしたのかもしれない。
だが、今はわかっているはずだ。
殺されるところだったのだと。
なのに、何故?
「どうかしたか?」
「いえ、ただ……。そちらに、巫子さまがいらっしゃるのですか?」
「興味があるか?」
「えぇ。お噂のみでお見かけしたことはありませんので」
「そういえばそうだったな」
巫子の関わる儀式は、この天竺のみのことであるから、出席をもとめられたことは一度もなかった。
「来年は大祭がある。そなたも特別に出席するがよい」
「ありがたきお言葉」
それから暫しのやりとりのあと、退出してよい旨が告げられた。
立ち上がり、そっと御簾のうちを窺う。御簾越しに華奢な少年の姿が見えたような気がした。