dearest…(2)
東の空が微かに白んできた頃。
学び舎の裏にそびえる山に続く道に、少年――江流が姿を現した。
季節は冬の終わりであった。ようやく寒さは緩んできたが、朝晩の冷え込みはまだまだ厳しい。
吐く息が白く凍えるほどだ。
江流は一度立ち止まり、はぁっと手に息を吹きかけて暖めると、また歩き出した。
「……ホントにきたよ」
しばらくなだらかな登り坂だったのが、本格的な山道に変わろうというところで、いきなり声が響いた。
驚いて辺りを見回すと、岩陰にふたりの青年が佇んでいた。
「すみません。昨日、
竜のことを調べていたようだったので、気になりまして」
そのうちのひとり、緑の目をした青年がにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべて話しかけてきた。
昨日、
図書館で声をかけてきた青年だとわかった。
最年少の三蔵法師候補、ということで、学内の人間のみならず、
学び舎を訪れる学外の人間からも、珍しがられて声をかけられることはよくある。
煩わしいので、いちいち顔など覚えていない。
だが、この青年はどこか一風変わっており、なによりも内に秘めた力が稀にみる強さで記憶に残っていた。
「あ、申し遅れました。僕は八戒。こっちは悟浄です」
押し黙っている江流の警戒を解こうとするかのように、八戒は笑みを浮かべたまま自己紹介をする。
江流は眉間に皺を寄せた。
だが挨拶をされたら、返さなくてはならないと思っているのか、少しの逡巡のあとに口を開いた。
「俺は……」
「知っています。江流、でしょう?」
その言葉に、江流は頷く。
「ところで、江流。あなたもここの生徒ならば、この先に何がいるのかわかっていますよね?」
微かに江流は眉が上げたが、口に出しては何も言わなかった。
「そして、決してここには近づかないように言われていますよね?」
相変わらず、江流は何も答えない。
「
学び舎の
教師たちは、伊達や酔狂でここに近づくことを禁止しているわけじゃないんですよ。この先にいる
竜は本当に危険なんです」
「知ってる。だが、行かなくてはならないんだ。邪魔はしないでくれ」
江流は素っ気無くいうと、ふたりの横をすり抜けて行こうとする。
「お前さ、何をもとめてるわけ?
竜に会いに行くということは、聞いてみたいことがあるってことだろう?」
すっと動いて進路を塞ぎ、悟浄が問いかける。
竜は『知の宝庫』と言われている。
学び舎の
図書館とは比べ物にならないくらいの情報を持っているはずだ。
「別に
竜に用があるわけじゃない。用があるのは、
竜の守る扉の向こうの方だ」
「……へぇ。そこまで知っているとは。さすが『三蔵法師候補』」
ふっと悟浄の表情が真面目なものに変わる。
竜は『知の宝庫』というのは、一般に知られている伝説にすぎない。本当の『知の宝庫』は、
竜の守る扉の向こうにある。
「どこでそんなのを調べた?」
「どこでもいいだろう。それより、言ったはずだ。邪魔はするな、と」
「って言われてもな。お前、コトの重大さをちゃんと認識してる? わからないことがあるから、ちょっと
先生にきいてみようっていうのとはわけが違うぜ?
竜と対峙するってことは、命をかけるってことだ」
「そんなの、承知している」
「脅しじゃないぜ?」
「しつこい。どけ」
江流の表情が険しくなる。
「と言っても、素直に通すわけにはいかないんです。この先には結界もありますけど、あなたには意味がなさそうですしね。正式の
狩人でも、ちょっとやそっとでは、破れないはずなんですけど」
八戒は、ため息をつくようにふっと息を吐き出した。
江流の決意は固い。
自分たちだけで説得しようと思ったのは間違いだったか、と少し後悔する。
だが、
学び舎の
教師たちに連絡すると、問題が大きくなる。
教師たちは、技術的には優れた人間が多いが、融通のきかない人間も多い。
こんなことで、貴重な――しかも優秀な
狩人の芽を摘むようなことはしたくなかった。
「ま、ケタ外れだからな、こいつの力は。結界なんて役に立たないだろうな。で、さしずめ探しものは、ケタ外れな力に見合うような最強の
守護者の召喚方法かな?」
もとの軽い調子に戻って悟浄が言う。
「違う。別に力が強い
守護者が欲しいわけじゃない」
固い表情で江流が答える。
「そうか? 俺はまた伝説の『斉天大聖』でも欲しいのかと思った」
「それは……大きく出ましたね、悟浄」
斉天大聖――500年前に現れたという、強い力をもつ
守護者。
彼の行く手には常に光が差し、闇はその前に現れることもできなかったという。
「例はわかりやすいほうがいいだろう? それくらい強い力をもつ
守護者が欲しいのかな、と」
その言葉に、ふいっと江流は横を向く。
「俺が欲しいのは、そういうのに関係なく、ただひとりだ」
なんとなく不貞腐れたような表情に、悟浄も八戒もここにいるのがまだ年端もいかぬ少年なのだ、ということにいまさらながらに気がついた。
そして、その言葉の意味にも。
「ただひとりって……」
「つまり、知っているやつってわけ?」
江流は横を向いたまま、答えない。
「……おい、八戒。念のために聞くが、
守護者って、
狩人なしに、この世界で具現化できるのか?」
「できませんよ。
守護者はこの世界の存在ではありません。
狩人との強い絆があってこそ、この世界に留まれるんですから」
「ってことは……」
こそこそと話していた二人は、同時に江流の方を見る。
「お前な、それはやめとけ。無理だって。
竜の知の扉を開くまでもない」
「そうですよ。
狩人と
守護者の絆は深いんです。それを無理やり切ることはできませんし、無理やり切ったところで、その
守護者があなたのものになることはありません。
守護者にも意思はあるんですから」
「そうそう。お前には、お前だけの
守護者がいるはずだから、そいつを呼び出したほうがいいって。たまに力のバランスが取れないコンビができることがあるけど、それだって理由があるんだから。だいたい自分がそんなに強いんだから、
守護者が多少弱くても、関係ねぇだろ」
「――知るか」
代わる代わる宥めるように言う二人に、江流は、吐き出すように呟いた。
「そんなこと、知るか。俺が欲しいのは、あいつだけだ。あいつ以外、意味がない。あいつが俺のものにならないならなにもかも意味はない」
強い瞳の光に、八戒も悟浄も息を止めた。