dearest…(5)
ふと、江流は目を開けた。
見慣れた天井が目に映る。
学び舎で、自分に与えられている部屋だとわかった。
同時に、パタン、と扉の開く音がした。
姿を見せたのは。
竜と対峙していた少年。
江流が意識を取り戻しているのに気づいて、ほっとしたような笑みを浮かべると、パタパタと足音も軽く、江流の横たわるベッドにと近づいてきた。
「大丈夫? 江? 一応、火傷とか怪我とか、できる限り手当てはしたんだけど……まだ、痛いところがあったら言って?」
「空……」
呟いて、江流は起き上がる。その途中でベッドのわきの机に置かれている、割れた赤い石に気づいて顔をゆがめた。
「空、お前……」
「うん。江が呼んでくれたから、出てこれた。にしても、いきなりこれに閉じ込められるとは思ってもみなかったよ」
そっと、石を転がしながら少年が言う。
その様子を、江流は顔をゆがめたまま見つめる。
しばらくどちらも口をきかず、静かな空気が部屋に立ちこめた。
やがて、ふと手を止めて、少年は江流の方に顔を向けた。
と、江流の浮かべている表情に気づき、少し目を見開く。
たぶん、こんな江流の表情は、
学び舎では、誰も見たことがないだろう。
頼りなげな幼い表情。
視線をさげ、少年は寂しげな笑みを微かに唇に刻んで呟いた。
「……俺は邪魔? だったら閉じ込めなくても、すぐに消えるよ」
「違うっ。そうじゃない。そうじゃなくて……っ!」
ほとんど悲痛といってもいいような声が江流からあがる。
江流は手を伸ばすと、少年の体を引き寄せた。
「え……?」
そして、驚いたような声を無視して、少年を体の下に組み敷く。
「こ……」
何事か言いかける唇を、江流は強引に塞いだ。
くぐもったような声が少年の唇から漏れる。
だがそれさえも無視し、唇の間を割って口内に侵入する。舌を探し出して絡めとった。
深く、深いキスをする。
何度も。
角度をかえて、何度も、何度も――。
「ん……」
ようやく唇が離れていくと、少年は甘い吐息のような声をあげた。
涙で潤んだ金色の目が、問いかけるように、江流を見つめる。
そっと涙を掬いとるように、江流は唇を寄せた。
「お前が俺のものにならないのはわかってる。だが、せめて――」
柔らかく目元にキスを落としながら囁きかける。
「せめてその体だけ、俺にくれ」
そして首筋にと唇を這わす。
「江?!」
一瞬体を強張らせ、それから驚いたような声をあげて、逃れようとするかのように少年が身を捩った。
それを許すまいと、江流は少年の両手をひとつにまとめると、頭の上でシーツに縫いとめた。
そして、また深いキスを仕掛ける。今度は開いた片手を、服の下に滑り込ませて。
「んっ!」
滑らかな肌を辿り、胸の突起を探りあてると、少年の体が大きく跳ねた。
重ねた唇の間から熱い吐息がもれ、小刻みに体が震えだす。
甘やかであろうその声を聞いてみたくなり、江流は唇をはずした。
「やっ、江っ、やめてっ、ま……っ!」
だが吐息とともに紡がれるのは、甘い声ではなく必死の叫び声。
「待てねぇよ。それに、お前が誰かのものだっていう台詞は聞きたくない」
肌を辿る手はそのままに耳元で囁くと、少年の体が淡く赤く染まっていくのがわかった。
だが、それでも戦慄く必死の声は止まらない。
「やぁ…っ。やめっ、江っ。誤解……っ、してるっ! 絶対、誤解してるっ!」
「誤解……?」
江流の手が止まった。
額を合わせるようにして、はぁはぁと荒い息をついている少年の顔を間近に見つめる。
「誤解なんかしていない。ずっと――ずっと、お前しか目に入らなかった。だから」
今度はゆっくりと唇を合わせる。
唇を舐めるように舌を這わせ、それから口の中にと舌を差し入れて舌を絡めとる。
「……じゃ、なくてっ」
頭を振るようにして、少年は江流のキスを振り解く。
荒く息をつきながら見上げる金色の目に、今にも泣きそうな表情を浮かべる江流の顔が映った。
「江……」
その表情に、少年はふっとため息をついた。
抵抗するような素振りはもう見せず、その身を委ねるかのように体から力を抜く。
だが、江流は固まってしまったかのように、動きをとめていた。
ただ傷ついたような目をして。
手に入らないのだという絶望をその目に浮かべて。
「ね、江。なんかわかっていないんじゃないかと思うんだけど……」
まっすぐな視線を向けて、宥めるように少年は口を開く。
「俺の
狩人は江だよ」
その言葉に、江流は呆然としたような表情を浮かべた。
「だから、別にこんなことをしなくても、俺は初めから江のものなんだよ」
辺りは静寂に包まれる。
簡単な言葉なのに、その言葉が江流のなかで意味をなすのに時間がかかる。
なぜなら、それは。
長年の望みにも関わらず、絶対に叶わぬものと思っていたこと。
やがて、江流の口から呟きがもれた。
「……嘘だ」
「なんで?」
「だって、
狩人と
守護者の間には絆を結ぶための契約があるだろう。俺は……。俺と空はそんなこと、していない」
「呼んだだろ?」
「え?」
「江は俺を呼んだ。俺はそれに応えた。契約はそれで終了」
「……いつ?」
「江が赤ちゃんのとき。呼ばれたって言っても、言葉にはなってなかったけど……でも、呼ばれたことに変わりはない」
じっと金色の目が江流を見つめる。
「本当に、わかってなかったの?」
「わかんねぇよ。だいたいそんなの、覚えてるわけねぇだろ」
江流の眉間に皺が寄る。
泣き出しそうな表情も、呆然とした表情も、もうどこにも見当たらなかった。
「でも、普通、気づくでしょ。……ってか、もしかして俺、誤解がもとであの石に閉じ込められたわけ?」
この世のものではない
守護者は、
狩人がいなければ、この世界ではその姿を保つことはできない。
この少年が
守護者であるのならば、その片割れたる
狩人がどこかに必ずいる。
そいつに渡したくはなかったから――。
江流はふいっと少年から視線を避けた。
「やっぱり、そうなの? もう、それでずぅーっと閉じ込められてたなんて。なんか損した気分だ」
「だったら、ちゃんと言葉に出して言っておけよ。だいたい俺はずっとお前が誰かのものなのかと思って――」
そこで、ふっと微かに江流は笑みを浮かべた。
「だけど、違っていたのか。誰のものでもなくて――」
自由を奪うかのように強く握っていた手をはずし、そっと茶色の髪を撫でる。
それは優しい、といっても良いような仕草で。
膨れていた少年は、笑みを浮かべた。
とても綺麗な笑みを。
「俺のもの」
笑みを返し、確認するかのように江流は呟き、そしてそれからそっと啄ばむようなキスを落とした。
「こ、江っ!」
びっくりしたかのような声が少年からあがる。
「なんだ? 俺のものなんだろう?」
「そうだよ。だから別にこんなことしなくても、俺は江のものなんだって」
「冗談」
もう一度、啄ばむようにキスをする。
「俺のものなら、身も心も全部、俺のものになれよ」
ふいに、紫暗の瞳に真剣な光が宿る。
「それとも、嫌か?」
見つめてくる、怖いくらいの光に、少年の目が見開かれる。
しばらく動きをとめていた少年は、やがてため息をついた。
「……も、つくづく、俺って江に甘いよな」
それから、江流に向かって両手を伸ばす。
「いいよ。江が、そうしたいなら、いい」
「空」
浮かぶ笑み。
そして。
ゆっくりとふたつの影はひとつに重なっていった。
【完】