聖なる夜に、天の使いが舞い降りて。
抱えた罪に裁きを下す――。

そんなことをずっと漠然と恐れていた。

Justice


教会で、クリスマスミサのための花の飾りつけをしていた。
少し前からクリスマスに向けて、教会は内外ともに綺麗になっていたが、明日のために元気のなくなった生花を入れ替えたり、もう少し豪勢な飾りつけにしたり、と割と朝から大忙しだった。
猫の手も借りたいくらいだったけど、一緒に教会までついてきた三蔵は、相変わらず手伝いもしないで見てるだけ。
ま、でも、それはいつもことだし。
それより、もっと居心地のいい司祭館には行こうとせず、ここにそのまま留まっているのが、三蔵なりの気の遣いようなのかもしれない、と思うとなんかちょっと可笑しいようなこそばゆいような気がした。

やがて、ようやくすべての飾りつけが終わった。
チェックをし、よし、と思ったそのタイミングを見計らうように。
教会の扉が開いた。

別に朝から作業をしていて、扉が開いたのがこれが初めてというわけではない。
明日のために人の出入りが結構あったから、扉は何度も開いたり閉ったりしていた。
だけど、なぜかこのときばかりは、扉が開く音が重々しく響き。
振り返ったその先に。

――青い目の天使がいた。

体が凍りついたように動かなくなる。
ただ見つめるしかできないなか、綺麗な笑みを浮かべた天使は、ゆっくりと三蔵の方に近づいていった。


「三蔵はん……」

柔らかく艶やかな声が響く。
そっとその手が三蔵の肩に置かれる。

やめて。
触らないで。

そう叫びたいけれど、声が出ない。

「……二度と目の前に姿を見せるな、といったはずだが」

三蔵が冷たく言い放つ。

「相変わらずつれないお人やね」

だが、天使――ヘイゼルは堪えた様子もなく、鈴を転がすような楽しそうな笑い声をたてる。

「けれど、我慢はいけませんえ?」

そして、まるで寄り添うようにさらに三蔵にと近づく。
もう見ていることはできなくて、目を背ける。
そのまま、この場を立ち去ろうとして。

「悟空」

三蔵に呼び止められた。

「どこに行く?」

三蔵の言葉に、心臓のあたりがぎゅっと締めつけられた。
そこから徐々に冷たいものが染みわたっていく。

どうして、と思う。
やっぱり、人間と吸血鬼は違うのだろうか。
たかが食事、なのだろうか。

俺はもう、三蔵に血を与えることはできない。
でも、三蔵が生きていくためには、『食事』は必要で。
だから、だれか別の人の血を取り入れなくてはいけない。

血を取り入れること。
それは、つまり――。

ずっと見ないふりをしてきた。
わかっていたことだけど、心に目隠しをしてきた。

「別にうちも構いませんえ。それに、ちゃんと見とったほうがええでしょ」

くすり、と笑うヘイゼルの声が聞こえる。

「悟空」

三蔵が歩み寄ってくる気配がする。
逃げ出したいのに、足がすくんで動けない。
肩を掴まれて、くるりと三蔵の方に向き直された。
三蔵が息を呑んだのがわかった。

「お前……なにを泣いて……」

俯けた視線の端に三蔵の綺麗な指が映る。涙を拭ってくれようとしている。

「……あまり、困らせるものではありません。こないに乾いてしまうまで、放っておいたくせに」

少し離れたところからかかるヘイゼルの言葉に目を伏せる。
なにもいい返すことはできない。

これはわがままだから。
ひどいわがままだから。

でも。
見ていることなんて、できるわけがない。
きっと、言葉に出して叫んでしまう。
いまも心の中でずっと叫んでいるのだから。

誰にも触れないで、と。

後ろに一歩下がったところで、三蔵に腕を掴まれた。

――どうして?
現実を直視しろ、ということ?

「……っ」

それまで、ただ涙が流れるだけだったものが、嗚咽がこみ上げてくる。
声をあげて泣きそうになって、唇を噛みしめた。
だけど。

いきなり、三蔵の腕の中に抱き込まれた。
抜け出せないくらいに強く抱き締められる。
どうしてだかわからなくて、混乱する。

耐えろ、ということ?
それとも――?

「……お前な、絶対なにか誤解してるだろ」

耳元で三蔵の囁き声がする。

「俺は最初にいわなかったか、お前の血でなくては駄目だと」

言葉の意味がわからなくて、余計に混乱する。
だって、俺の血は――。

「信じられないとは、な。少し、お仕置きをしておく必要があるな」
「三蔵はん、まさか――。やめなはれ、そないな穢れた血を体内に入れはったら――っ」

ヘイゼルの悲鳴のような声が響きわたる。
だが、そんな声を綺麗に無視して、三蔵が笑みを浮かべた。

「な――っ」

驚いているうちに、首筋に噛みつかれた。
覚えのある微かな痛み。
やがて離れていく唇の感触。

「三蔵……」

ただ、ただ信じられなくて、目の前の三蔵を見つめた。

「……なんてことを。穢れた血を取り入れはるなど。せっかくの純血の力が弱まってしまうやないですか。ほんまになんてことを」

ヘイゼルの呆然としたようなつぶやきが聞こえる。
それを聞いて、あがる脈拍とは逆に心は冷えていく。

一瞬、期待したけれど。
やっぱり、駄目なんだ。
俺のせいで、なにかを犠牲にさせることはできない。
こんなに綺麗な人だから。
綺麗な花とか、綺麗な空気とか、綺麗な血とか――。
やっぱり綺麗なものでなくては――。
逃げ出そうとして、抱きとめられた。

「どこへ行く? そのままじゃ辛いだろうが」

囁き声に首を振る。手を突っ張って、抱擁から抜け出そうとする。

「……ったく、お前は」

呆れたような声が耳を打つ。
ぎゅっと改めて抱きしめられる。

「体の欲求に従ってしまえば楽だろうに……。そういうところが――」

ふっと目の上に息がかかる。
唇が触れてこようとしている。

「や……っ」

押しのける。
いま、触れられたらダメになる。
それに。

「汚い……っ」

俺の血は……。
俺は――。
一瞬、三蔵は驚いたような顔をした。
そして。

「馬鹿」

ひどく不機嫌そうな表情を浮かべる。

「なんでお前までそんなことをいうんだ?」

手が伸びてくる。
避けようとするのを、強引に引っ張りこまれ、腕の中に強く抱きこまれた。

「お前のどこが汚い? 穢れている? こんなに綺麗なのに」

それから両手で頬を包み込まれるようにして、上を向かされた。
吸い込まれそうな深い紫の目と目が合う。

「これ以上、綺麗なものなんてほかにはねぇよ」

三蔵の言葉に、思考が停止した。
なにか、いろいろと考えていたことが全部、消え失せる。

「他の声に耳を貸すな。俺の言葉だけ、聞いてろ」

そっと唇が目に押しあてられる。
零れる涙を拭うように。
ゆっくりと、顔中に羽のようなキスが降ってくる。

「……ん」

最後に唇に。
触れるだけの、でも他よりも少しだけ長く触れるだけのキス。

「お前が触れれば応えるから、正直、乾いていることなど忘れていた。他で満たされていたからな」

もう一度、唇が重なってくる。

「それにしても、お前は本当に自分の価値を知らない。力は、な……」

三蔵の言葉とともに、背にふわりと羽が出現した。
鳥の姿を見ることもなく。

「どちらかといえば、増しているといった方がいいと思うぞ」

白い羽は、真珠のような光沢を帯びて、ますます美しく輝いている。
あまりにも綺麗で。
言葉も出ない。

「……アホ面」
ぼぉっと見とれていたら、三蔵がため息をついてそんなことをいう。
そして、いきなり鼻先を軽く噛まれた。

「なっ」

びっくりして、鼻に手を当て、三蔵を睨みつけた。
と、三蔵が満足そうな笑みを浮かべた。

「そうやって、ちゃんと俺を見てねぇからくだらねぇことを考える。お仕置き、覚悟しておけよ?」

言葉とは裏腹に優しいキスが額に降ってくる。

「ここではイヤなんだろ。ちゃんと連れ帰ってやるから、しっかりつかまっておけ」

ふわりと抱きかかえられた。

「三蔵……」

その綺麗な顔がまっすぐこちらを見ているのに気づく。
というか。
最初からずっと、三蔵はこうして見ていてくれたのだと思う。
それを思うとなんだか暖かいものが胸にあふれてきた。

「大好き」

心のままに抱きつくと、しっかりと受け止めてくれた。
もう心は冷たくない。
指の先まで温かなもので溢れている。

「大好きだよ」
もう一度囁いて、身を委ねた。