準備


明るい日射しが差し込むコーヒーショップの店内。

窓際のひとり掛けのコーナーに座り、コーヒーを一口飲んで、三蔵はほっと一息ついた。こんな風にひとりでのんびり、というのは久し振りだと思う。

悟空を引き取ってから、毎日が戦場のようなものだった。
特に最初は一時も目が離せなくて、寝不足でフラフラで、その他のことはほとんどなにもできなかった。あの頃に比べれば、いまは格段に手がかからなくなったな、と思うが、それでもこんな風に余裕で過ごすことなどなかった。

のだが。

先日、いきなり八戒が山程のパンフレットを持ってやってきた。
そろそろ悟空を通わせる幼稚園の候補を絞らなければというのだ。

まだまだ早い、と一蹴しようとしたが、最近では3年保育が主流で、しかも『プレ幼稚園』なるものがあるらしい。
幼稚園のお試しみたいなもので、徐々に子供を慣らしていく意味もあるようだ。

悟空は同い年くらいの子と遊んだことがあまりない。

三蔵が在宅で仕事をしていて、子供のいそうな時間に公園に行くとか、なにかのイベントに連れてってやるとか、そういうことができないためだ。

子供同士で遊ぶことも大切ですよ、と八戒に言われ、それも一理あるなと思った。
それに人気の幼稚園はこのプレ幼稚園に入っていないと入園するのが難しいそうで、とりあえず八戒に押し切られた形で、お試しをしてみることにした。

子供を預け、初回はその間に園の先生の話を聞いたり施設を見学できるようになっていたのだが、なぜかついてきた八戒の方が熱心だったので任せることにし、久し振りの『ひとり』を満喫すべく、三蔵はこうして近くのコーヒーショップに来たのだが。

なんとなく物足りない。

いたらいたで、仕事の邪魔になったり、いろいろと鬱陶しいこともあるのだが。

三蔵はなんとなく眉間に皺をよせ、コーヒーに口をつけた。



■ □ ■


『プレ』というだけあって、預ける時間はそんなに長くはない。1時間半というところだ。
ゆっくりとコーヒーを飲んで、三蔵が戻ってみると。

八戒が困ったような顔をして、悟空の傍にしゃがみ込んでいた。その隣に、やはり困った顔をした幼稚園の先生がいる。

近寄りつつ見ていると。
どうも、悟空の方に八戒が手を伸ばして、それを悟空が嫌がっているのか、ぷいっと背中を向ける、というのを繰り返して、ぐるぐると回っているようだ。

悟空は八戒にかなり懐いている。
のに、なにがあったというのだろう。

「おい、八戒」

声をかけようとしたところ。
パッと悟空が三蔵の方を向いた。

それから。
タタタと駆け寄ってきて、ドンとぶつかるように飛びついてくる。
そして突然、ふぇ、っと泣き出した。

「悟空?」

わけがわからないままも、三蔵は悟空を抱き上げてやる。
と、わんわんと大泣きを始めた。
泣いたり笑ったり、よく表情の動く子供であったが、ここまで大泣きをするのは珍しい。

「くぅ、いい子」

泣きながら、悟空が言う。

「どうした? なにがあった?」

三蔵はいつもより心持ち優しめに悟空の頭を撫でてやる。

「いい子、してる、からっ。くぅ、いい子してる」

泣きじゃくりながら、悟空はそれだけを繰り返す。
ぎゅっと掴まれた腕が痛い。

「……お前」

そして、ようやくわかった。

「別にどっかやったりしねぇよ。ちゃんと迎えにきただろうが」

安心させるように、ぽんぽんと背中を軽く叩く。

「さ、家に帰るぞ」
「……おうち」

悟空がしゃくりをあげながら、見上げてくる。

「そうだ」

涙でぐしゃぐしゃの顔をハンカチで拭いてやり、鼻をかませて、抱きしめてやる。

「すみません。まだ早すぎたようです。ちょっと来週からは考えさせてください」

最初に軽く説明を聞いたときに、問題がないようだったら、週1でこの幼稚園に通わせるのも良いかもしれない、という雰囲気になっていたのだが。

三蔵は軽く、幼稚園の先生に頭をさげた。

「三蔵、こういうのはよくあると思いますよ。初めての経験ですしね」
「えぇ。大泣きをするお子さんはたくさんいます」

八戒が、そして幼稚園の先生も言う。

「そうかもしれないが」

三蔵はまだちょっとぐずっている悟空に目をやる。

「こいつの場合、もうちょっと安心させてやってからでないと……」

だれが言ったというわけではないのだが。

たぶん悟空は、父母のもとにいる子供たちと、自分が違うのだとわかっている。
無条件に自分が三蔵のそばにいられると思っていない。
他の子供はそんなことすら考えてないだろうに。


――馬鹿なことだ。
と、三蔵は思う。

途中で手放すつもりなら、最初から引き取ったりしない。
引き取らない、という選択肢もあったのだから。
そして引き取ってみたはいいもののたいへんで――というのなら、もっと早くに手放す機会はいくらでもあった。

「一緒に家に帰るぞ」

三蔵の言葉に、ぎゅっと悟空が抱きついてきた。