月見


仕事に一区切りをつけ、新聞でも読もうかと居間に行こうとした三蔵は、台所の方が騒がしいのに気づいて、方向を変えた。

覗いてみると、子供用の椅子のうえにで、ダイニングテーブルに身を乗り出すようにしている悟空の姿が目に入った。
八戒が持つボウルの中身を、大きな金色の瞳で、じっと見つめている。


「もうちょっと待ってくださいね」


八戒は、なにやらぐるぐるとかき回したり、こねたりしているようだ。

なにをしているのだろう?

そう思ったとき。


「あ。さんぞっ!」


悟空が三蔵に気づいた。椅子がガタンと大きく揺れる。
三蔵は微かに目を見開くと、無言で悟空のそばに駆け寄る。
バランスを崩す――というところまでではなかったので、手を差し出すようなことはなかったが。


「椅子のうえで暴れるなっていつも言ってるだろうが」


眉をしかめ、少し怖い顔をして悟空を叱る。


「ごめん……しゃい」

しゅんと悟空が項垂れた。
そんな悟空の頭を、わかればいいというように三蔵はぽんぽんと軽く叩いた。


「で、なにをしてるんだ?」

「んとね、お団子!」


三蔵がすごく怒っているわけではないとわかって安心した悟空が、元気に答える。


「団子?」


「うささんのお団子!」


……なんの話だ?

とでもいうように、三蔵は八戒の方を見た。


「今日は中秋の名月ですよ」


どことなく苦笑するかのように、八戒が答える。


「うささんのお団子、作るのー」


どうやら八戒がこねているボウルの中身は、団子らしい。


「ホントは上新粉を使うんですけどね、それだと蒸してから丸めるんで熱いんですよ。悟空には危ないんで、今回は水でできる団子粉ってやつがあったんでそれです」


言いながら、八戒はボウルの中身をさくさくと分け、その1つを悟空に渡した。


「はい。丸めてくださいね」

「はーい」


悟空は、にこにこ笑って受け取るが。


「あ、うささんっ」


突然、そういうと一旦、団子をお皿において、着ていたパーカーのフードをひっぱりあげた。
それから満足気な顔をして、団子を丸め出す。

その姿を見た三蔵が、少し眉根を寄せ八戒に問いかける。


「……おい。これを買ったのはお前か」


こんなパーカー、持っていなかったはずだ。


「えぇ。だって、今夜は十五夜ですから」


にっこり笑って八戒が答える。
それに対してなにか言おうとでもする素振りを三蔵は見せるが、結局、口をつぐんだ。

真剣な顔で団子を丸めている悟空が着ているのは、うさぎの耳がついたパーカー。

うさぎの耳は垂れてしまっているが、そういう種類のうさぎをイメージしているのかもしれない。
なんだか悟空によく似合っているし、本人も嬉しそうだ。
だから、まぁ、いいかと可愛らしい様子を見守る。

しばらくそうしていたが、三蔵は不意に目を転じた。
視線を感じたのだ。

八戒と目が合う。
三蔵は眉をしかめた。と、いままで浮かんでいた柔らかな表情が消える。


「一緒にやります?」

「いや」


三蔵はそう答えると台所から出て行く。


「見ててもいいですよ?」

「見てても面白いモンでもねぇだろうが。居間にいる」


――意外と面白いものですよ。

そんな声を背中に聞きながら、三蔵は台所を後にした。




どのくらいたったのか、ぱたぱたと悟空が居間に駆け込んできた。
どうやら団子を丸め終わったらしい。


「さんぞ」


ソファに座っている三蔵の横にぽふっと飛び込む。


「……お前、粉だらけじゃねぇか」


ポケットからハンカチを取り出すと、悟空の鼻の頭についた粉とかを拭ってやる。
にこにこと嬉しそうに、悟空はおとなしくされるがままになっている。
そこに。


「帰ったぞー」


第三者の声がした。


「ごじょ」


悟空がぱたぱたと玄関に駆けていく。


「可愛いな。それ」

「お団子作るから、うささんなの!」

「そっか」


やがてそんな会話とともに、芒を手にした悟浄とともに悟空が戻ってきた。


「ごじょ」

悟空が悟浄の方に手を伸ばす。
どうやら芒が欲しいようだ。

「こらこら小猿ちゃん。コレはダメ。手を切るぞ」


悟浄はそれを柔らかくいなし。


「よ」


軽く三蔵に挨拶をして、台所にいる八戒に声をかける。


「八戒、花瓶は?」


……というか。
この家の主はだれだろう、という質問だ。が、面倒なので、三蔵は黙っている。


「そこにないですか?」


そういえばローテーブルの横に一輪挿しが出してあったが。


「これじゃ小せぇよ」

「どれだけ取ってきたんですか」

「いや、芒以外にもなんか赤いのも一緒に取ってきたからな」


悟浄は台所に向かい、とてとてと悟空もその後をついていく。
花瓶なら2つ並んだ食器棚の小さいほうの下の棚なのだが――勝手知ったる他人の家でわかるだろうと三蔵が新聞に注意を戻したところで。


「ぴっ」


なんだか可愛らしい声がした。


「悟空、大丈夫ですか?」

「あぁ。だから触るなっていっただろうが」


そんな声がし、やがてぱたぱたという足音がした。


「さんぞ、血ぃ出た」


悟空が三蔵に人差し指を見せる。
ぷくりと玉のように血が盛り上がっている。
さきほど芒を欲しがっていたから葉で手を切ったのだろう。

三蔵は悟空の手首を掴むと、傷口を軽く舐め、それから傷の様子を確かめる。

たいしたことはなさそうだ。

箪笥の上にある救急箱から絆創膏を取り出し、貼ってやる。


「ありがとー」


ひどく嬉しそうに悟空がいう。
痛いことは痛いのだろうが、大きな怪我をしたとき以外は悟空はこんな顔をする。
怪我よりも三蔵に構ってもらえるのが嬉しいらしい。


「相変わらず仲が良いことで」


芒と吾亦紅を挿した花瓶を手に悟浄が居間に入ってくる。


「本当に」


多少いびつな形も混じる団子を乗せた皿を手に八戒が続く。
二人の目の前で怪我したというのに、三蔵の元に飛んでいくとは――。

フン、という感じで三蔵はそれには答えない。
二人は軽く視線を合わせて笑い、それから何事もなかったかのように、ローテーブルに花瓶と皿を並べる。


「さて、お月見の用意はこれでよし。悟空、お団子は夜になったら食べましょうね」

「はーい」


元気よく悟空が答える。


「じゃあ、とりあえずおやつにしますか」

「パンダしゃんがいー」

「お。ご指名ですな」

「って、あなたは絵を描くだけでしょうが」


三人は賑やかに台所に向かい、あとには三蔵が残された。
月見用の団子と芒になんとなく目を向け。

――夜はまた騒がしいな。

と思うが、それが嫌だ、というわけではない。

悟空が来るまでは、静かなことに安らぎを覚えていたのだが。
それが変わったわけではないのだが――。

とりあえず。

夜までの静かなひとときを満喫しよう――とでもいうように三蔵は新聞を開いた。