ポッキーの日
トントン、と控えめなノックの音がして、静かに扉が開いた。
コーヒーの良い香り。
それから柔らかな声がした。
「一息いれませんか?」
なかで打合せをしていた三蔵と悟浄の顔があがる。
あぁでもない、こうでもないとやっていて、意外に時間が経っていた。
少し煮詰まり気味だったので、ちょうどよいタイミングだった。
一息入れるか、とふたりして戸口の方に視線をやると、にこやかに微笑む八戒と、その足の後ろから覗くようにしている悟空。
「おや、小猿ちゃん。おかえり」
悟浄が声をかける。
悟浄と八戒が三蔵の家に来たときは、悟空はまだ幼稚園にいる時間だった。
打ち合わせをしているうちにお迎えの時間が近づいてきたのだが、八戒が『迎えに行ってきますので気にせず続けてください』と言うのでそのまま打合せをしていた。
気にせずに、というか、むしろ嬉々として出かけていったのだが。
「だたいまっ」
悟空は入っても大丈夫、という雰囲気を敏感に感じ取って、とタタタと三蔵のそばに走り寄り。
「さんぞっ、お菓子、欲しい!」
その腕に張りついた。
「おやつなら作りますよ。ホットケーキにしましょうか?」
八戒が優しく言うが。
「あのね、ポッキーが欲しいの」
そう答えられて、少しショックを受けたようになる。
「ポッキー? それならあるぞ」
がざごそと鞄を漁って、悟浄がポッキーの箱を取り出した。
「そうか。今日はポッキーの日だもんな。幼稚園でポッキーの日だからポッキーを食べるんだぞとか言われたのか?」
渡してやりながら悟浄が尋ねる。
「うんっ! そう! ありがとーっ」
悟空は大きく頷き、嬉しそうに箱を受け取った。
「ポッキーの日?」
訝しげな顔をしながら、八戒が呟く。なんだか呆然とした感じで、まだショックから立ち直っていないようだ。
「そ。11月11日だから。1がポッキーのように見えるから……らしいぞ。それくれたウチの社の女の子がそんなことを言ってた。ま、そういう特別な日だからってだけで、八戒のおやつじゃ嫌だってわけじゃないと思うぞ」
「やじゃないよ!」
びっくりしたように悟空が言い、ぽふんと八戒に抱きつく。
「はっかいのホットケーキ、大好きだもんっ」
見上げてくる悟空に、八戒はようやく笑みを浮かべた。それで悟空も安心したようににこにこ笑う。なんだかそこだけほわほわとした空気が流れる。
「あのね。これ、開けて」
それから悟空は三蔵に向き直り、箱を差し出した。
「全部いっぺんに食うなよ」
三蔵は受け取ると、箱と中の袋を開けてやった。
悟空は、そこから真剣な顔でポッキーを一本取り出すと、口にくわえ。
「んーっ」
と、三蔵の方にくわえた先を向ける。
一瞬、三蔵が固まる。
「んーっ」
さらに悟空がポッキーを突き出すようにする。
どうやらこの状態で食え、ということらしい。
「……おい」
三蔵が地を這うような低い声を出す。それから。
「なにを考えてやがる、このバ河童っ!」
「え? 俺? って、ちょおっと、待った!」
突然の名指しに、思わず腰を浮かして悟浄が後ずさる。
「言っておくが俺じゃねぇぞ。だいたいここに来た時は小猿ちゃん、いなかったじゃねぇか」
それもそうかと思い直し、今度は八戒に向き直る。
八戒はびっくりしたように顔の前で手を振る。
「僕でもないですよ。だいたいポッキーの日なんて知りませんでしたもの」
さきほどのやり取りからこれもそうだな、と思い、ようやく悟空当人にと、三蔵は顔を向けた。
当人、自覚はないかもしれないが、なんだか動揺しているようである。
悟空はきょとんとした顔で三蔵を見返した。
「それ、誰に教わった」
悟空は聞かれて答えようとし、口にポッキーをくわえたままなのを思い出し、いったん口からはずして元気良く答えた。
「李厘っ!」
それは確か幼稚園で仲の良い女の子の名だ。
「お前、まさか幼稚園でそんなこと……」
表情にはなにも出ていないが、三蔵の声の調子が少しおかしい。
やはり動揺しているのだろう。
「最近のコはなんというか……」
「マセてるねぇ」
そんな三蔵を面白がってでもいるかのように、八戒と悟浄が火に油を注ぐようなことをいう。
が。
「してないよ?」
悟空は小首を傾げる。
「これ、今日だけやるやつだって言ってたもん」
そう言って、また悟空は口にポッキーをくわえた。
「んーっ」
そうやってポッキーを向けてくる悟空を、珍しくも途方に暮れたように三蔵が見ていると。
「……さんぞ、くぅ、キライ?」
しゅん、と悟空の肩が落ちた。みるみるうちに大きな金色の目に涙が溜まってくる。
「これ、好きじゃないとしないって。さんぞ、くぅのことキライだから……」
涙が一粒零れ落ちる。
それを見て、ほとんど舌打ちしそうな顔で三蔵は悟空の手にしていたポッキーを、改めて悟空の口に押し込むんで。
パキンと途中で噛みとる。
「あとはお前が食え」
一瞬、悟空の目が大きく見開かれ、やがて笑みが浮かんできた。
「うん!」
泣いたカラスがなんとやら、途中で折れたポッキーをにこにこと笑いながら嬉しそうに食べる。
「相変わらず仲が良いことで」
なんだか呆れたように悟浄が呟き、それから悟空が持っているポッキーを1本抜き取った。
「ほれ」
くわえて、悟空の方に向ける。
が。
「違うもん!」
悟空は、ぷいっと横を向いた。
「これはトクベツなヒトとするの! だから、さんぞとしかしないの!」
それから三蔵に、ぽふっと抱きついた。
「三蔵だけだもんっ」
その言葉に三蔵は複雑な顔をし。
「さいですか」
と今度は悟浄は肩を落とした。