お正月
ぺたぺたと温かなものが顔に触れている。
「さんぞ、さんぞ」
どこかから声が聞こえてくる。
なんだ? と三蔵は思い、目を開けようとするが。
瞼が重い。
というか、どうやって目を開けたらよいのかわからない。
夢のなかでもがいているかのようだ。
なんとか意識を浮上させようと格闘していたところ。
――ちゅっ。
柔らかな感触。
突然、ぱちっと視界が開けた。
「起きた! さんぞ、起きたっ!」
目の前いっぱいにひろがるのは、悟空の満面の笑顔。
「じゃあ、次は悟浄を起こしてきてくださいね」
少し遠くから八戒の声がする。
「はぁいっ」
元気な声とともに、悟空が視界から消えていく。タタタと駆け出していく音。
――さっきのは、なんだ?
起きあがりながら悟空の後ろ姿を見送って、三蔵は訝しげな様子で眉間に皺を刻んだ。
キッチンからいい匂いが漂ってくる。
ここは自分の家で、住んでいるのは自分と悟空しかいないはずで、その自分が料理をしていないのにこの匂いは……などと難しく考えなくても、そこに八戒がいるのは先程の声でわかっていた。
それに悟浄もいるらしいが、そもそもそのふたりはなんでここにいるのだろう。
少し靄がかかったような頭で三蔵は考える。
昨日、ふたりは原稿を取りには来ていたが、それぞれに渡して帰ったはずなのだが……。
そこで三蔵は眉をしかめた。
そういえばその後、真夜中に近い時刻。
とっくに悟空が寝てしまって、珍しくもひとり静かにのんびりと新聞を読みながら呑んでいたところ、ふたりが乱入してきたのだ。
そして持ってきた酒を開けて、勝手に宴会を繰り広げ――。
「はっかーい。ごじょもおきたーっ」
キッチンに辿りつくと、ちょうどなかに入っていく悟空が見えた。
「ご苦労さまです」
八戒の声が聞こえる。
「……ったく」
すると、今度は後ろから悟浄の声がした。頭をかいて大欠伸をしている。
「勘弁してほしーわ。三蔵サマ、どういう起こし方の教育をしてるんだが」
「あ?」
「いきなり飛び乗ってきたぞ」
腹をさすりながら悟浄が言う。
「それは俺の指示じゃねぇよ。さしずめ……」
三蔵はキッチンに視線を送る。そこにはにこにこと笑って悟空に話しかけている八戒の姿が。
それを見て、三蔵の顔に訝しげな表情が浮かぶ。
「どうかしたか?」
悟浄が不思議そうに聞いてくる。
「なんでもねぇよ」
言いつつ三蔵はキッチンに入る。
と。
「さんぞっ」
タタタと悟空が駆け寄ってきた。
「あけおめ!」
と言う悟空の頭を三蔵はちょっと小突いた。
「こら。略さないでちゃんと言え」
「はぁい。えと……。あけまして、おめでとー……ごじゃ……ごじゃりましゅっ」
ぺこん、と悟空が頭をさげる。
よくできました、とでもいうように頭を軽く撫で。
「明けましておめでとうございます」
三蔵も挨拶を返す。
「へぇ。おとーさんだねぇ」
後ろで悟浄が感心したような声をあげる。それをちょっと睨みつけ、三蔵は抱っこをせがんでいる悟空を抱き上げてやると、八戒に向き直った。
「八戒、あの起こし方を教えたのはお前か?」
「は?」
八戒は驚いたような顔をする。
「起こし方、ですか? えと、悟空に起こしてくるようには頼みましたが……いつもと違ったんですか?」
本当に心当たりがないらしい。いささか困惑しているような表情をしている。
「いや、そうじゃねぇんならいい」
「なに? 三蔵さまも飛び乗られたわけ? あれはちょっとキツいもんなぁ」
「いつまでも悟浄が起きないからじゃないんですか? ね、悟空?」
三蔵に抱っこされて嬉しそうに笑っていた悟空は八戒の言葉を聞いていなかったらしい。『う?』というような表情をする。
「悟浄はお寝坊さんですね」
「おねーぼーっ」
それで八戒が重ねて言うと、悟空も唱和するに言う。
反論するのも無駄と悟ったのか、悟浄の肩がガクンと落ちる。
「あ、三蔵。キッチン、勝手に借りていろいろ用意しちゃいましたが」
「別にいい」
誰かがやってくれるならその方が楽だ。
そんな意を込めて答える。
「悟空、お餅はいくつにします?」
「よっつ!」
と言いつつ、手の指は3つ立てて悟空が答える。八戒が優しく、4つはこっちの指もですよ、と教えているそばで。
「おまえ、そんなに食えるのか?」
立ち直った悟浄が呆れたように言う。
「くえるもんっ。おぞーに、あんこ、きなこ、のり、だもっ」
「はいはい。ちゃんと作りますよ。三蔵と悟浄はどうします?」
そうやってわいわいと楽しそうにしているさまに。
こういう正月も悪くはないか、と三蔵は微かに唇の端に笑みを刻んだ。
ところで後日。
気になっていたのでふたりのいないところで、どうやって起こしたのか悟空に確認したところ。
「んと、ね。おひめさまはおーじさまのキスでめがさめるんだよっ。さんぞ、きれぇだからおひめさまなの」
と胸を張って答えられた。
そしてそれはもうするな、と言い含めるのはかなり骨が折れることだった。