変奏曲〜variation (2)
和やかな雰囲気のまま、夕食はすみ、それから居間に場所を移して少し話をした後で、光明は用があるからと自室にと引き取った。
三蔵と悟空は、なんとなく二階にあがり、三蔵の部屋に落ち着いた。
「お前、いつのまにお養父さんと仲良くなったんだ?」
本棚を覗いている悟空の背中に三蔵は声をかけた。
「んー、もとからバイト先によく来る人だったんだけど、三蔵のお養父さんってわかってから、ちょっとした言葉を交わすようになって、そしたら自然に仲良くなって。話してると、楽しいし。光明っていろんなこと、知ってるね」
「そうだな。だが……」
「一緒にご飯を作ってるなんて、驚いた? それはつい最近、なんだけどね。ちょっと風邪気味だったときに、ご飯を作るのたいへんでしょうから、ウチに食べにきませんかって光明が言ってくれて。そのときに出してくれた玉子がゆが絶品で、思わず作り方を聞いたら、話の流れで他の料理も教えてくれることになったの」
「風邪? お前、なんでそのこと……」
「三蔵、忙しかったでしょ。それにそんなにたいしたことじゃなかったから。でも、そういうときってちょっとした親切が凄く嬉しくて、で、思わず光明のお誘いに乗っちゃったんだけど……三蔵?」
ふわりと後ろから抱きしめられて、悟空は不思議そうな声をあげた。
「そういうときは言えよ、俺に」
「バイトに行ってたくらいだから、本当にたいしたことなかったんだよ。それに言ったら、三蔵、来るって言いそうだし。たいしたことないっていっても風邪だからうつすとマズイでしょ」
「んなことは考えるな」
まわされた腕に力が入り、しっかりと抱きしめられる。
眩暈にも似た幸福感が押し寄せてくる。
腕の中で、悟空はひっそりとした笑みを浮かべた。
「それにしても、一緒に夕飯を作って待っているとは、な」
「相当驚いたんだね。ちっちゃい頃から、あんまり喜怒哀楽を出さないって光明は言ってたけど」
夕飯の席での会話を思い出したのか、悟空がクスリと笑い声をたてた。
「驚いたのは、お前がいたことも、まぁそうだが、どちらかというと、お前とお養父さんがキッチンに並んで立っている姿を見て、だ。なんとなく仲が良い嫁と姑みたいだな、って思った」
「なに、それ」
クスクスとさらに悟空が笑い声をたてる。
「実際、似たようなもんだろ?」
軽く悟空の頭に唇を押し当てて、三蔵が言う。
「え……?」
戸惑ったような声は一瞬で、そのあとすぐに、自分たちが恋人同士なのだから、と暗に言われたことに気づいたのだろう。みるみるうちに、悟空の頬が薔薇色に染まっていくのが、眼下に見えた。
「なんで、そこで沈黙するんだ? 違うのか?」
「……三蔵の、意地悪……」
「意地悪はお前の方だろ? 俺だけが振り回されてる」
「そんなことないっ」
顔を赤くしながらも、悟空が振り返って睨みつけてくる。
三蔵は笑みを浮かべ、睨まれても可愛らしいとしか思えない悟空の目の上に軽くキスを落とした。
そして、思う。
本当はわかっているのだ、と。
悟空が未だに信じきれていないことを。
自分が本当に必要とされているのだということを、悟空は未だに信じてきれていない。
何度、そう言ったのかわからないにも関わらず。
といっても、悟空が三蔵を信用していないということではなく――。
たぶん、三蔵だけではない。
人懐っこくはあるのに、悟空にはどこか人から一歩ひいているようなところがある。
本来は、単純で明るく屈託ない性格だろうに、どこか歪められてしまった感がある。
それがどうしてなのか。
理由が語られることはないが。
それでも。
本当に信じられるようになるまで、何度でも。
お前が必要だ、と繰り返す。
繰り返すことにためらいはないし、面倒とも思わないから――。
「お前、本当にここに移ってきたらどうだ?」
心に浮かぶ思いのまま、顔じゅうに羽のような柔らかいキスを降らせながら、三蔵が言う。
「え?」
「前にお前が使っていた客室をそのまま使えばいい。お養父さんもお前を気に入っているみたいだしな」
ここで暮らさないかと言われたことにようやく気づき、悟空は息をのんで動きを止めた。
「嫌か?」
「……嫌っていうか……」
少し困ったかのような表情が浮かぶ。
「ここにくれば、好きなときにピアノを弾けるぞ」
その言葉に、悟空はうっと言葉を詰まらせた。
ピアノ。
悟空は本当にピアノが好きだ。
放っておくと、寝食を忘れるくらいに没頭して弾いている。
正直言って、自分よりピアノの方に関心があるのは三蔵にとって面白いことではない。
だが、いつでも好きなときにピアノが弾ける。
この言葉には、抗い難い魅力があるはずだ。
その証拠に眉間に皺を刻んで、ますます困ったような顔をしている。
「今すぐ返事をしなくてもいい。考えておいてくれ」
眉間の皺にキスを落として三蔵が言う。
悟空は困ったような顔のまま頷いた。
そんな悟空の耳元に三蔵は唇を近づける。
「ここに帰ってきたときに、お前がいてくれたら俺も嬉しいしな」
「三蔵」
甘い囁きに、悟空の頬が再び赤く染まる。
そんな悟空の様子に、三蔵は満足気な笑みを微かに浮かべると、目の前の耳朶に軽く歯を立てた。
「や……っ」
途端にあがる声。
噛んだところを、なぞるように舌で舐めると、悟空の体が震えだした。
「さん……ぞ……、やだ、やめ……っ」
「なぜ?」
息を吹き込むようにして囁くと、ピクンと肩が跳ね上がった。
だが、悟空はもがくようにして、三蔵の腕から逃げ出そうとしている。
三蔵は、胸を押す悟空の手を掴んで動きを封じ、さらに懐深くにと抱き込んだ。
「や……、やだって、さんぞっ」
「だから、なんでだ?」
まだもがき続けている悟空は、本当に嫌がっているようで、三蔵は少し苛立ちを覚える。
「だ……って……光明が……
階下に……」
「あぁ、そうか」
悟空の頤に手をかけて顔をあげさせると、潤んだ目と目が合った。
先ほどの三蔵の台詞に険が含まれていたからだろう。
「怒っちゃいねぇよ」
安心させるかのように、三蔵は悟空の目元に唇を落とした。
「それに、階下には聞こえねぇよ」
驚いたかのように見開かれる目。
何か言いかける唇を、三蔵は強引に塞いだ。
口内に侵入して、舌を絡め取る。
悟空が対応しきれていないことを知っていて、それでもなお、深いキスを仕掛ける。
「ん……ふぅっ」
角度を変えるために、唇をずらすと、甘い声がもれた。
それに気を良くして三蔵は、さらにキスを深くする。
舌の根から吸い上げるように舌を絡ませ、口内をかき回し、誘い出した舌を甘噛みする。
深く、浅く、幾度繰り返したかわからない長いキスが終わると、悟空がくったりと三蔵に身を預けてきた。
「さんぞ……も、やだ……」
「これからだろうが」
軽く額にキスをしながら、三蔵が言う。
「も……帰る……」
いまにも崩れ落ちそうな、おぼつかない足取りで、悟空は三蔵から離れようとする。
「ここで『はい、そうですか』って帰すわけねぇだろ」
三蔵は、悟空を腕の中に閉じ込めて、動きを封じる。
「や……だって……」
「養父は気にしねぇさ。それに……」
体重をかけるようにして、ベッドにと押し倒した。
「俺の方が我慢できねぇ」
「さん……っ」
抗議の声を遮るかのように、再び唇を塞ぐ。
そして、強引でありながら、この上なく優しい仕草で手を滑らせていく。
「悟空……」
耳元で囁く声に、震えるような吐息が答えに返ってきた。