優しい手 (2)
寺院の庭の奥まったところに、気持ち良く風の通る場所があった。
ぽっかりとそこだけ少し広めの空間があいている。
木々と、低い灌木に隠されて、外から注意して見ても、知っていなければそこに空間があるのはわからない。
涼風吹き抜けるその場所は、この時期の悟空のお気に入りに場所で。
「あ、ここにいた」
三蔵に教えてやったところ、三蔵も気に入ったらしく、仕事をサボるときの絶好の隠れ場所になっていた。
「なんかみんな捜していたぞ」
隣に座りながら、悟空は三蔵に話しかける。
が、三蔵からの答えはない。
呑気に煙草をふかして、煙が消えていく先を眺めるとなしに眺めている。
「行かなくていいのか? 大事な用っぽかったけど」
重ねて問う。
「……休憩中だ」
すると、ようやく面倒臭げな答えが返ってきた。
「そっか。あ、休憩中なら饅頭、食うか? 疲れているときには甘いもんがいいんだぞ」
悟空は袋から饅頭を取り出すと、三蔵の目の前に差し出す。
「お茶もあるぞ。さっき淹れたばかりだから……」
別の手で水筒を引き寄せるが、饅頭を持った手を三蔵に捕られて、悟空は動きを止める。
「三蔵?」
不思議そうに聞くのと、ほぼ同時にぐいっと近くに引き寄せられた。
手から饅頭が転がり落ちるが、間近に紫暗の瞳が迫り、それどころではなくなる。
「珍しいな」
「なに、が?」
手首を掴む手も、背中に添えられた手も大して力を入れているわけではない。
だから離れようと思えばすぐに離れられるのに、綺麗な紫の瞳に射すくめられるように、悟空は身動きひとつできなくなる。
言葉さえ、発するのが困難になる。
「いつもなら戻れ、とは言わねぇ」
「戻れ、なんて……言ってねぇよ?」
「本当に言ってねぇか?」
その言葉に、悟空は少し目を伏せる。
言葉に出して直接は言っていないが。
三蔵が行かないでくれて嬉しかったが。
「……困ってたみたいだったから」
「だれが?」
「名前、知らない」
寺院にもいろんな人間がいる。
先ほどの三人組のように悟空を邪険にする人間もいれば、数少ないながらも優しく接してくれる人もいる。
ただ優しい人間のなかには下心があって近づいてくる者もいて。
ひとくちに『寺院の人間』といっても、千差万別だ。
さきほどの若い僧は、悟空に優しく接するわけではないが、少なくとも悟空を公平に扱ってくれる人間だった。
悟空の話をちゃんと聞いてくれる。
だから、少しだけ協力しようという気になった。
「……さ、んぞっ」
と、不意に顔をあげさせられた。
視界いっぱいに三蔵の綺麗な顔が近づいてくる。
あ、と思ったときにはもう唇を塞がれていた。
「……ぅんっ」
促されるように舌で突かれて薄く唇を開くと、容赦なく舌を絡め取られた。
最初から深く重なる唇に、悟空の意識がついていかない。
いつもならば軽いキスから始まって、ここまで来るまでの過程はもっと緩やかだ。
ふわふわと気持ち良くなってから、もう少し先にと進む。
なのに。
突然のことにうまく息継ぎができなくて、それなのに吐息ごと奪われるような激しいキスをされて、悟空は息苦しさに三蔵の腕を強く掴む。
と。
「……っ」
悟空の手を無視するように、三蔵の手が明確な意思を持って服の上を這っていく。
悟空は驚き、反射的に腕を突っ張って三蔵から身を離した。
「なに……、なにをっ」
「疲れたときは甘いものがいいんだろ?」
微かに唇の端をあげて、三蔵が言う。
「甘い……甘いものって……?」
こんな外で、突然、熱を高められるようなことをされて、悟空は少し恐慌状態に陥りながら、きょろきょろと辺りを見回す。
「饅頭なら、ここ……」
すぐ近くに転がっている饅頭を見つけて、手を伸ばそうとするが。
「違ぇよ。ここにあるだろうが」
三蔵の腕のなかにと引き戻されて、再び唇を塞がれた。
また舌を絡め取られ、口内をかき混ぜられる。
酸欠と、頭のなかが真っ白になりそうなキスに、くたりと崩れ落ちそうになったころ、ようやく三蔵の唇が離れていった。
「ほら、甘いだろ」
すっかりと力の抜けた悟空の体を抱き締め、その耳元で三蔵が囁く。
低い声には普段は絶対に聞かれないような艶めいた響きが混ざっている。
それに気づき、悟空の頬は紅く染まる。
「甘く……なんか、ない……」
呟くようにいう悟空の耳朶を三蔵は口に含む。
舌先で二、三度弄るようにしてから、首筋にと舌を這わす。
「ん……っ、ぅっ」
時々、強く吸うようにすると、悟空が体を震わし、吐息を漏らす。
「そうか。どこもかしこも甘いぞ」
囁きつつ、また唇を奪い、三蔵は悟空を下草の広がる地面にと押し倒していく。
「……やっ」
背中にあたる地面の感触に、悟空は驚いたように身を捩った。
「三蔵、ここ、外っ」
焦ったように、三蔵の体の下から抜け出そうとする。
「それがどうした?」
悟空の抵抗を封じ込めるように、三蔵は悟空の両手を頭の上で拘束する。
「だって、人が来たらっ」
悟空の金色の瞳が涙で潤み出す。
「だれも来ねぇよ」
自由を奪っておきながら、三蔵は宥めるように優しく零れ落ちる涙を唇で受け止める。
「悟空」
そして低く名を呼びながら、悟空に覆いかぶさっていった。