旋律〜melody(22)
バスタブのなかで、後ろから抱きこまれるような格好で、悟空は三蔵に身を委ねていた。
なんだかふわふわと心地良いのは、お湯が温かいから、というだけでないだろう。
ほわっと、悟空は笑みを浮かべた。
どちらも無言で、沈黙が続く。
沈黙は重いものではなく、言葉はなくても優しい雰囲気に包まれて心地良い。
だが。
「……あのとき、お母さん、笑ってた」
突然、ポツリ、と悟空は呟いた。
「そうだな」
無意識のうちに滑り出た言葉だったが、そんな答えが返ってくるとは思っていなかった悟空は、驚いたように振り返った。
普通はあれだけではなんのことか、わからないと思うのだが。
「良かった……と言われた気がした」
が、そんな言葉が続いて、悟空の目が微かに見開かれる。
ちゃんとなんのことを言っていたのか、三蔵にはわかっている――。
「そうだね」
悟空は甘えるように三蔵の方にさらに身を寄せた。
ずっと、ずっと、お母さんは悲しそうな顔をしていたのだと思っていたのだけど。
手を振り払ってしまったから、絶対に悲しんでいたと思い込んでいたのだけど。
でも。
そうじゃなかった。
あのとき、お母さんは微笑んだのだ。
それはたぶん悟空を残していっても大丈夫だと思ったから。
連れていなくてすんだから。
本当は――生きてほしいと願っていたから。
「……悪かったな。守ってやれなくて」
ふわりと三蔵は悟空を抱きしめる。
託されたのに。
目の前で人が亡くなった事実に、助けられなかった自責の念に、三蔵はすべてを忘れた。
たぶんそれまでの玄奘家に関する重圧も、それに拍車をかけたのだろう。
そして観音は、三蔵を光明の手に委ねた。
光明が親代わりになったのは、観音が忙しいせいだとずっと三蔵は思っていた。
ずっと――忘れていた。
それは心の奥底にと封じ込められ、悟空に再び会ったときでさえ思い出すことはなかった。
そして、いま。
波間に消えて行く後ろ姿を思い出すと、焼けるような痛みに襲われるが――。
だが。
一方で、いまではどうしようもなかったのだということがわかる。
あのときはまだ子供だった。
いまでさえ悟空を助けるだけで精いっぱいだったかもしれない。
悟空を――。
「三蔵が気に病むことは、なにひとつない。俺のことも。――お母さんのことも」
悟空がそっと囁く。
悟空もまた三蔵に助けられたことを忘れていた。
優しかった母親の手を振り払って、自分だけが生き残ったのだ、と思っていた。
だが。
全部――。
「不思議、だね」
悟空は三蔵を見上げて淡く微笑んだ。
「もう一度出会えた、なんて――」
――運命かと思ったのですよ。
ここに来る前、出かけに光明が言っていた言葉。
運命――。
否。
「必然、だな……」
三蔵は口のなかで小さく呟いた。
「え? なに?」
聞き取れなかった悟空が不思議そうな顔をする。
「なんでもねぇよ」
三蔵は微かに笑う。
ふたりは見つめ合い。
そして。
どちらからともなく近づいていき、柔らかなキスを交わし合った。
月日は過ぎ、桜が咲く頃。
高校を卒業した悟空が正式に《ou topos》のメンバーに加入した。
また例の噂が再燃するのではないか、と事務所の方では少し心配していたようだが、ファンの間では、悟空の加入は非常に好意的に受け入れられた。
前にラジオで三蔵が『どんなやつかは、曲を聴けばわかるだろう』と言っていたのが大きかったらしい。
あんな綺麗で、優しい曲をかける人が悪い人のはずはない――。
それがファンの間では共通の意識だった。
そんな雰囲気は伝わるのか、それともそこまでのことではないと思われたのか、悟空の加入については小さなニュースとして伝わっただけで、特に取り沙汰されることはなかった。
そして。
彼らが、彼ららしい活動を繰り広げるのは、この後のことである。
【完】