願い(2)


 三蔵が消えていった扉を見つめて、執務室に立ちつくしていた。
 遠慮していると舐められる。
 言われたことが頭にひっかかる。
 それは、どういう意味……?
 と、カチャリという音とともに扉が開いた。
 三蔵が引き返してきたのかと思ったが、扉の向こうにいたのは別の顔だった。
「お前、どういうつもりだ?」
 さっきの若い僧だった。後ろに同じくらいの年頃の僧が二人いる。
 最近、この三人組は何かと絡んでくる。別にわざと転ばされたり、殴られたりすることはなんでもないけど。怪我をすれば痛いけど、それだけだ。傷はいつかは癒える。でも、必ず嫌なことを言われるので、できれば会いたくない相手だった。言葉の方が体に受ける傷よりももっと痛い。
「その腕の傷、三蔵さまに言いつけに来たのか」
 言われて、袖がたくしあげられたままだったことに気付いた。
「そんなわけないだろう」
 反射的にムッとして答えた。すると、なんだか怯んだ様子になった。今まで口答えなんてしたことがなかったから、驚いたらしい。 
 遠慮していると舐められる。
 さっきの三蔵の言葉がなんとなくわかったような気がした。
 袖を直して、ソイツらのそばを通り抜け、部屋に戻ろうとした。
「待てよ」
 と、肩を掴まれた。無言で掴んだヤツの顔を見る。
「三蔵さまに拾ってもらったからといっていい気になるなよ」
 言葉だけは強い調子で言われたが、こちらの態度がいつもと違うので戸惑っている様子が手にとるようにわかる。
「別にいい気になんてなってない」
 そう言って、掴まれた手を振り払って行こうとした。だが、別のヤツが――さっき、執務室に来た若い僧が目の前に立ちふさがった。
「お前、まさか三蔵さまのご好意でおそばにいられるとか思っているんじゃないだろうな」
 言われた意味がよくわからなくて、顔をしかめた。何が言いたいのだろう。
「人と妖怪は一緒にはいられない。それは事実だって、さっき言っただろう。それなのに、なんで三蔵さまがお前をおそばに置いていると思う?」
 目の前の顔に、なんだか嫌な笑顔が浮かんできた。さっきの年のいった僧と同じ笑顔。
「三蔵さまはな、お前を殺すためにそばに置いているんだよ」
「何、言って……」
 殺す?
 三蔵が俺を殺す?
「ちゃんと証拠もある。見せてやるよ」
「 そう言うとソイツはくるりと向きを変えた。
 信じない。そんなこと。
 そう思っているのに、まるで暗示にかかったかのように、別のヤツに肩を押されてその後について歩きだしてしまう。
 行かない方がいいと頭ではわかっているのに。
 行き着いた場所は、滅多に人が来ないところ。三蔵に最初にここに連れてこられたときにいた納屋の近く。
「ここだ」
 大きな木々に隠れるようにして、あの納屋と同じような建物があった。ただもう少し小さくて、堅く扉は閉ざされている。扉には何枚かの紙が貼られていた。
 先を歩いていたヤツが、無造作にその一枚をはがした。
「これは三蔵さまが作られたお札だ」
 それを俺に見せながら言う。
「妖怪を滅するための、な」
 手が伸びてきた。咄嗟に避けようとしたが、左右から別のヤツらに押さえ込まれた。それでも振り払おうとして――。
「うわあぁぁぁ――!」
 左肩に焼け付くような痛みを感じた。悲鳴をあげて、思わず地面に倒れ込む。
「ぐっ!」
 無意識のうちに肩を抑えようとした右手にも痛みが走った。手をとめたまま硬直する。あまりの痛みに動くことができない。
「小物であれば、すぐにでも消し飛ぶんだがな」
 上から声が降ってくる。鋭い痛みのなか、何故か声だけは鮮明に聞こえる。
「これでわかっただろう、妖怪。三蔵さまは、法力を高める修行をなさっている。お前など一瞬で消し飛ばせるようにな。だから、いつかお前を殺すためにおそばに置いているんだよ」
「そ……な……信じ……」
 搾り出すように言う。
 そんなの、信じない。
「お前のその身に起きていることが信じられないのか」
「――!!」
 言われたのと同時に、また鋭い痛みが走った。今度は左胸。心臓の上。
 もう声を出すこともできない。
 苦しい。
 苦しい。
 三蔵。
 助けて。
 この痛みが三蔵によって与えられたものであっても。
 三蔵が俺を殺そうとしていても。
 三蔵。
 呼べる名前はそれしかない。
 それしか知らない。
 三蔵――。
 と、突然、体が浮き上がった。
 またあの痛みが襲ってくるのだろうか。
 すでに動けない体に更に力が入る。これ以上の痛みはもう耐えられないかもしれない――。
「深呼吸しろ、悟空」
 が、痛みの代わりに低い声がした。
 この声は。
 ぎゅっと瞑っていた目を開けた。
「あ……」
「いいから、息をしろ。ゆっくりだ」
 優しい手が背中をさする。それにうながされるように息を吸った。
「いい子だ……」
 ゆっくりと息を吸って、はいてを繰り返す。そのうちに、痛みがなくなっていることに気がついた。
「さんぞ……」
 地面から抱き起こされていた。目の前に三蔵の綺麗な顔がある。
 三蔵だ。
 三蔵が、きてくれた。
「三蔵さま、どうして……」
 震える声が響いた。三蔵がゆっくりとそちらに視線を向ける。
「こいつの声はよく響くんだよ」
「何を言って……」
「そんなことよりも、くだらぬことをしたな」
 三蔵が冷たく言い放つ。
 ざわりと背中が粟立った。何だ? この感触。
 嫌な感触に身構えようとした時、ふわりと体が持ち上がった。
「三蔵?」
 三蔵に抱きかかえられたと思った瞬間、もの凄い音が響き、目の前にあった建物が吹き飛んだ。