願い(3)


「三蔵、あれ、何?」
 バラバラと降ってくる破片を避けて、三蔵が木の陰に回りこんだ。その一瞬前に、建物があった場所から黒い影が立ち上がったのが見えた。
「三仏神からの頼まれ物。太古の生き物とかで、三日三晩、香を焚き込めた部屋に閉じ込めておいてから引き渡す予定だったんだがな」
「三蔵さま!」
「何事ですか?!」
 先程の大きな音に、寺院の方から大勢の僧達が駆けつけてきた。手に武器を持っているものもいる。
「うわぁぁーー!」
 その騒ぎの中、辺りに複数の悲鳴が響いた。
 三蔵に地面に降ろしてもらい木の陰から覗くと、建物があった場所で黒い影が躍るように動いているのが見えた。そして、さっきのヤツらが黒い影に捕まえられ、空高く持ち上げられていた。
「助けて!」
「三蔵さま! 三蔵さま!」
「助けてください! 三蔵さま!」
 泣き叫ぶ声が空から降ってくる。
 三蔵は木の陰から出ると、黒い影の前に立った。
 皆が固唾を呑んで見守るなか、腕を組んだ三蔵は空を見上げて言った。
「てめぇらで蒔いた種だろうが。てめぇらで何とかしろ」
 そして、そのまま黒い影に背を向けて、こちらに戻ってくる。
「三蔵さまっ!」
 悲痛な声が響いた。
「三蔵っ!」
 目の前を通りすぎていく三蔵の法衣の袖を掴んだ。
「どうして?! 助けてあげないとアイツら……!」
 確かに嫌なヤツらだ。大嫌いだ。でも、だからといって、目の前で死んで良いということはない。
「知るか」
 だが、三蔵の答えは冷たい。本気で怒っている。
「三蔵、せっかく捕まえたものを滅茶苦茶にされて怒るのはわかるけど、でも、また捕まえて閉じ込めればいいんだろう? だいたい三仏神からの依頼なんだからこのままにしておけないじゃないか。そのためにも、アイツら、助けてあげなくちゃ」
 袖口を掴む手に力を込めて言い募る。ここで離したら、きっと本当に三蔵はどこかに行ってしまう。いつもなら何のかんの文句をつけながらもいろんな始末をつける三蔵にしては珍しく、本当に本気で怒っていた。
「お前……」
 三蔵が奇妙な目でこちらを見た。
「うわぁぁ!」
「やめてくれー!」
 突然、切羽詰まった悲鳴が聞こえた。振り向くと、影の中にアイツらが取り込まれようとしていた。
 何も考えていなかった。
 ただこのままじゃいけないと思った。
 近くにいた僧が持っていた槍を奪い取ると、影の方に向かった。
「やめろっ!」
 思いっきり地面を蹴って飛び上がる。槍を振り回すと、影が切れた。降ってくるヤツを受け止めて、影が届かなそうな地面に横たえる。
 あと二人。
 一人。
「悟空、後ろだ!」
 空の上で最後の一人を助け出したとき、三蔵の声がした。振り向くと黒い影が迫ってくるのが見えた。
 下を見ると、僧達が集まっているのが見えた。
「受け止めて――!」
 最後の一人の手を離す。落下地点に僧達が集まってくる。
 良かった。
 そう思った途端、目の前が暗くなった。

 誰かが泣いていた。
 とてもか細い声で。
 誰だろう? 何で泣いているんだろう?
 ココハ、イヤ。
 頭の中に声がした。
 トテモ、クウキガ、ワルイ。カエリタイ。カエリタイ。カエリタイ……。
 よくわかんないけど。
 帰してあげるよ。帰りたい場所に。
 もう泣かなくていい場所に。
 俺がそうだったように。
 だから。

 ふと、目を開けた。
 目の前で帯になった経典が揺れていた。
 三蔵。
 後ろから羽交い絞めにされているみたいに抱きかかえられていた。
 助けてくれたんだ。
 そう思った途端、低い詠唱が聞こえているのに気がついた。
「三蔵、待って! やめて!」
 影に向かって手を伸ばす。
「帰してあげるよ。だから、もう怖がらなくてもいいよ」
 一瞬、影が揺れた。
 と、いきなり爆発したみたいに影が光にとって変わった。あまりの眩しさに思わず目を閉じた。目蓋の裏で、急速に光が縮んでいくのがわかった。そして――。
 手の上にコロンと冷たい感触が乗っかった。
 目を開けると、掌にとても綺麗な淡い薔薇色の、生き物というよりも石が乗っていた。
「さんぞ、これ、生き物……?」
 少し困って、上を見る。
 三蔵が笑っていた。滅多に見られない優しい笑顔だった。
「お前、ホントに……」
 頭に手が置かれた。くしゃとかき回される。
「バカ」
 ……へ?
「何だよ、それ」
 頬を膨らませた。
「三蔵さま」
 後ろから僧達が近付いてきた。三蔵の顔がいつもの仏頂面に戻る。
「後始末、しておけよ」
「はい。あの……」
 話しかけてきた僧が、なんだか心配そうに俺の方を見た。
「こいつの手当ては俺がしておく」
 三蔵はそう言うと、俺を抱きかかえて立ち上がった。
「ちょっ……! 三蔵、別に一人で立てるってっ!」
「怪我人は大人しくしてろ」
「でもっ!」
「これ以上グダグダ言うようなら、地面をひきずって行くぞ」
「う……」
 三蔵ならやるかもしれない。
 仕方ないので、大人しくする。が、この体勢は落ち着かない。あまりにも近くに三蔵の綺麗な顔があって、どこに目を向けていいのかわからない。だから、三蔵の私室に着くまでずっと目を伏せていた。