夏の宝物(5)
翌日の午後。
八戒がノックの音に答えてドアを開けると、そこには満面の笑みを浮かべた悟空と、相変わらずの仏頂面をした三蔵がいた。
「八戒、これ、お土産」
悟空が紙袋を差し出した。紙袋には、最近、長安の町で人気の飲食店の名前が入っていた。
「どうしたんですか、これ?」
「三蔵が、メシ、食いに連れてってくれたの」
「じゃあ、仲直りしたんですね」
「うん」
悟空は上機嫌で頷いた。まるで大安売りのように、にこにこと笑顔を振りまいている。
「よっぽど、美味いモン、食わせてもらったんだな」
悟浄も戸口にと出てきた。
「しかし、あんなに怒っていたのに、食いモンで機嫌が直るとは。お手軽でいいね、小猿ちゃんは」
「なんだとぉ!」
すかさずからかう悟浄の方に、悟空は一歩踏み出したが、三蔵に襟首を掴まれて止められた。
「遊んでる暇はねぇ。帰るぞ」
くるりと三蔵が背を向ける直前、心なしか悟浄は三蔵に睨まれたような気がした。
「寄っていかないんですか?」
八戒の言葉に悟空は手を振った。
「三蔵、まだ仕事があるんだって。一緒に帰りたいから、俺も帰る」
悟空が三蔵の後を追っていった。
悟浄と八戒は、仲良く森の中の道を寺院の方へと引き返していく二人の姿を見送った。じゃれつくようにまとわりつく悟空と、少し邪険な三蔵。いつもと何ら変わりはない。
「どうかしたのか?」
やがてその姿は森の木々に隠れ、悟浄は家の中に入ろうとしたが、何か考え込んでいるような八戒に気づいて声をかけた。
「いえ、なんか違和感があるな、と思っていたんですけど」
二人が消えていった方角を見ながら八戒が答えた。
「悟空、長袖でしたよね。今日も暑いのに」
その言葉の真意を掴みかねて悟浄は訝しげな表情を浮かべた。
確かに長袖だったが。言われてみれば不思議だが。
「なんか、こうちょっと艶っぽいような気がしたんですが……。いえ、気のせいかもしれませんけど」
悟浄は少し考え込んだ。
悟空は全然艶っぽく見えなかったが、三蔵には睨まれた気はする。あれは、人のモンに手を出すな、ということか?
だが、二人ともそんなにいつもと変わっているようには見えなかった。
悟浄と八戒は複雑な表情を浮かべ、互いに顔を見合わせた。
「お前、体、大丈夫か?」
寺院への道すがら。いつもよりも少しはしゃいでいるかのような悟空に向かって三蔵が問いかけた。
「大丈夫だよ? 一応、腹八分目で抑えておいたし」
キョトンとした顔で悟空が答える。三蔵は苦笑を浮かべた。
「そうじゃない」
「あ……」
言われたことの意味がようやくわかり、途端に悟空は耳まで真っ赤になった。
「えぇっと、いろいろと痛かったりするけど」
ぼそぼそと答えて、悟空はぎゅっと三蔵の腕に捕まった。
「でも、大丈夫」
その頭をくしゃりと三蔵はかき回す。見上げると、優しげな表情を浮かべている三蔵の顔が目に入り、悟空はにっこりと笑った。
「そういえば、お前、あの台詞、誰に聞いたんだ?」
ふと思いついて三蔵が尋ねる。
「あの台詞……」
赤かった悟空の顔がますます赤くなった。
意味を知った今となっては、口にすることはできない。
というか、よくもまぁ、恥ずかしげもなく言えていたものだと思う。
「『抱いて』だ」
そんな悟空の様子に三蔵は意地悪げな笑みを浮かべると、顔を近づけ、わざと低い声で、耳元で甘く囁くように言う。
「さんぞっ!」
猿、というより、ゆでダコみたいだ。
三蔵は悟空を引き寄せると、掠めるようにその唇にキスを落とした。
「で、誰に聞いた?」
腕の中で俯いてしまった悟空に再度聞く。
「……ジィちゃんから」
小さな声で悟空が言う。
「言わなきゃ伝わらないこともあるし、やってみなきゃわからないこともあるって……」
その答えに、三蔵は舌打ちしそうな表情を浮かべた。
悟空が「ジィちゃん」と呼ぶのは、寺院にいる老僧正のことだ。年の功か、唯一、三蔵が苦手とする人物。
「三蔵、怒った?」
ふと気づくと、悟空が不安そうな表情で見上げてきていた。
その手のうちに乗ってしまったのは、忌々しいことだが、こうしてこの存在を手に入れることができたのだから、むしろ感謝すべきことなのかもしれない。だが。
三蔵はもう一度、悟空の唇にキスを落とした。
感謝の言葉など、死んでも言わないだろうが。
「三蔵、大好き」
今まで見た中で一番綺麗な笑顔を浮かべる悟空を、三蔵はしっかりと抱きしめた。