コクハク(4)
そして、二日後。
扉のノックに答えて出てきた三蔵はとても驚いた顔をしていた。
「お前……」
そう言ったきり沈黙する。
「ちゃんと説明しとこうと思って」
人一人入るには狭い扉の隙間を強引に広げて、ずかずかと中に入り込んだ。
テーブルの上にリュックを置いて、中からクッキーの包みを取り出す。
「食べて」
袋を開いて、三蔵の目の前に差し出す。三蔵は怪訝そうな顔をして、クッキーと俺を見比べる。
「食べてみて」
再度促すと、一昨日の罪悪感からか、ため息をついたが珍しく何も言わずに、一枚を手にとると口へと運んだ。
「美味しい?」
三蔵は何も言わない。
「和風の方が好きかなと思って、今回はきな粉と黒糖を使ってみたんだけど」
何が言いたい? 三蔵はそんな顔をしている。
「これね、俺が作ったの。というか、今まで持ってきたお菓子は全部、俺が作ったものなの」
三蔵の目がちょっと見開かれる。驚いているようだった。
「俺、確かに卒業したら留学を考えているけど、それはデザインの学校じゃないよ。お菓子の学校。留学の費用は、ねーちゃんに出して貰うから『いいご身分』って言われても仕方ないかもしれないけど、でも、ちょっとは自分でも出そうと思って高校に入ってからずっとバイトしてる。ま、一石二鳥を狙ってお菓子屋さんで、だけどね」
クッキーを袋に戻して包み直す。
「それから、デザインのことだけど」
まっすぐに三蔵を見る。
「ずっとねーちゃんが勉強してたの、傍で見てたし、よく会社にも出入りしてるし、ショーの手伝いとかしてるし、門前の小僧レベルなんだろうけど、詳しくないとは言わない」
それから、ちょっと視線をそらす。顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。
「それに、これは言いたくなかったんだけど、俺、中学まで、ねーちゃんのために女の子服のモデルしてたし」
背丈がちょうど良かったんだそうだ。
モデルを頼む余裕がないと言われて、相手がねーちゃんだったから断りきれなくてしてたことだけど、できれば他人には知られたくない過去だ。
「だから、着た感じがどうなるかとかも、デザイン画からある程度予測つく。ねーちゃんもそれがわかってて、たまに俺に意見をもとめることもあるよ。デザイン画を二つ見せられたとき、そういうのの延長かと思った。ただ単にどっちが良いのかと聞かれたのかと思った。社内でコンペをしてたなんて知らなかった」
年に数回、バイヤーのためにしているショーにはねーちゃんのデザインだけでなく、社内で作品を募って厳選したデザインが使われるのは知っていた。だけど、あれがそうだとは思わなかった。
「ま、それはともかく、ねーちゃんは人に意見をもとめても、最終的に決めるは自分だって人だよ。俺に甘いのはホントだけど、俺の言いなりになるような人じゃないよ。それはわかっているんでしょ」
三蔵は何も言わない。
俺が言わなくても、わかりすぎるくらいにわかっているのだろうと思う。
ただ、ちょっと悔しかったんじゃないかな。
「あのデザイン。凄く綺麗だと思った」
だから、自信もあったんだと思う。
でも落ちて、たぶん八つ当たり、したくなったんだと思う。
「さて、と。どうする? 鼻持ちならない社長の弟の家庭教師、もう嫌だっていうんなら辞めるのは自由だよ」
クッキーをリュックにつめて、三蔵の方に向き直る。
「……好きだと、言ったそうだな」
暫しの沈黙の後で、三蔵が口を開いた。
その言葉に心臓が跳ね上がった。
好きって――。
三蔵が好きだなんて、俺、誰にも言ってないぞ。
「あのデザイン、個人的には好みだと。今日、社長がそんな話をしてた」
ワタワタとするが、そう続けられてちょっと拍子抜けする。
あ、なんだ。デザインの話か。
「って、お前、何一人で赤くなったり――」
三蔵が訝しげな表情を浮かべる。が、やがてふっと笑みを漏らした。
本当に微かな笑み。
「あ――」
思わず、声が出る。
「何だ?」
三蔵の表情がまた訝しげなものにと変わる。
あ、もったいない。
凄く綺麗だったのに。でも。
「いや、初めて笑ってくれたな、って」
三蔵の眉間の皺が深くなった。
うーん。こういう表情をさせたいわけじゃなくて。
「ね、三蔵。三蔵は俺のこと好き?」
三蔵の目が見開かれた。
「だって、三蔵、いくら酔っていて八つ当たりしたい気分だったとはいえ、好きでもなければ、キス、しないだろ?」
ずっと考えていた。なんでキスしたのかって。
自惚れなのかもしれない。
三蔵が俺を好きになる理由なんてわからないし。
でも。
たぶん、そうなんじゃないかと思う。
それは推測、というより確信。
「な、俺のこと、好き?」
もう一度尋ねる。
沈黙したまま、見つめあう。だが、ふいっと三蔵が視線をそらした。
「さあな」
その横顔はいつものちょっと不機嫌そうな顔に戻っている。
ズルイな。はぐらかすなんて。
「三蔵」
手を伸ばして、三蔵の頬を包み込んだ。強引にこちらにと向かせる。
こんなに近くで、こんなに綺麗な顔が見られるなんて。
ちょっと感動して、嬉しくなる。
「ぜってぇ、言わせる。好きだって」
そして、笑顔を不敵なものに変え、視線を合わせて、そう宣言した。
「言うかよ」
唇の片端を軽くあげて、小馬鹿にしたような笑みを三蔵は浮かべる。
「言わせてみせる」
挑むようにそう言い――。
そして。
三蔵の唇にキスをする。
触れるだけで、すぐに離れて、また見つめあう。
だけど、またどちらからともなく、顔を寄せる。
「絶対……言わせて……みせるからっ」
何度も交わすキスの合間に囁いた。
これは始まり。
いろんなことの始まり。
全てはここから――。