祈りにも似た声無き叫び(1)
「三蔵、起きて。朝だよ」
声とともに扉が開いた。
パタパタと部屋を横切る軽い足音がしたかと思うと、シャッとカーテンが引かれる音がして、部屋の中に光が差し込んできた。
瞼の裏に光を感じて、三蔵を思わず寝返りを打った。
「もー、三蔵。遅刻するよ」
次から次へとカーテンを開けていく音がする。
部屋の中が光で溢れ、寝ていられなくなって、もそもそと三蔵は起き上がった。
だが、起き上がったきりでベッドから降りようとはしない。
「三蔵……?」
カーテンを開け終えた悟空が三蔵のベッドの傍にと近寄ってきた。
「また悪い夢でも見たの?」
心配そうに覗き込むようにして三蔵の顔を見つめる。
それから、ふわりと三蔵を抱きしめた。
「大丈夫。ただの夢だよ」
すると、三蔵の胸の残る嫌な感じが引いていった。まるで陽にあたった氷のように跡形もなく溶けていく。
悟空の体からは、花の香がしている。
それは香水でなく、自然な花の香。
香るものなど特に何もつけていない筈なのに、すぐ近くまで寄ると香るそれは、悟空そのものの香なのかもしれなかった。
「ほら、早く支度して。遅れるよ」
やがて悟空が離れていく。
その後を追うように、三蔵は手を伸ばして悟空の腕を掴まえた。それから、別の手で頭を抱えるように引き寄せる。
「さんぞ……」
驚いたような声をあげる唇を塞いだ。
軽く、啄ばむように何度かキスを交わし、それから唇の間を割って深いキスを仕掛ける。
「や……駄目だって……」
微かに身を捩って離れていこうとする悟空を、逃がすまいと三蔵は手に力を籠める。
強引に舌を絡めとり、吸い上げる。
「ん……」
キスの合間に漏れる甘い吐息に、何も考えられなくなる。
確かなのは、目の前にあるこの存在だけ。
一度、唇を離し、ほとんど触れ合うほど顔を近づけたまま、三蔵はゆっくりと手を滑らせて悟空を横抱きにした。
もう一度、唇を重ねようとしたところ、悟空の手に唇を押されて阻まれた。
「これ以上は駄目」
軽く睨むようにして悟空は言う。
だが、熱に浮かされたように頬を染め、目に涙を滲ませていては、逆効果だ。
一緒に暮らし始めて数か月。
確かに長いとは言えないが、そんな様子が却って三蔵を煽るのだとまだわからないのならば、たぶん悟空には一生わからないだろう。
三蔵は目に悪戯っぽい光を浮かべると、口を塞いでいる手をペロリと舐めた。
「な……っ!」
驚いたように悟空が手を離す。
その隙に三蔵はもう一度悟空にキスをする。
けれど、今度のキスは軽いもので、触れただけですぐに唇を離す。
これ以上すると、本当に悟空が拗ねてしまうから。
拗ねれば、しばらくはその体に触れさせてくれない。
放っておけば、悟空の方から折れてくるのだが、その髪に、その唇に触れられないということは、たまらなく淋しい。
俺を選んでくれて嬉しい。
よく悟空はそう言って、幸せそうに笑う。
だが、本当は『選んだ』のは悟空で、『選ばれた』のは三蔵の方だ。
悟空が三蔵を見つけ出し、こうして一緒に暮らすようになったのだから。
こんなにも溺れているのだ、と。
初めて触れたその時からずっと、悟空というその存在自体に溺れているのだと、悟空はまるでわかっていない。
「三蔵」
腕の中で嬉しそうに悟空が笑った。
悟空の意思を尊重して、三蔵が途中で止めてくれたことが嬉しいのだと、その顔には書いてあるようだった。
トン、と膝の上から床に降り立つと、悟空はお返しのように軽く三蔵にキスをした。
「朝ごはん、用意できてるよ。着替えて、早く来てね」
そして笑みを浮かべたままそう言うと、扉にと向かった。