伝える言葉(6)
さらに大きく見開かれた目に、少し心が痛んだ。
三蔵が好き。
いきなり、思ってもみないことを言われて、驚いたのだろう。
それは、そんなことを考えもしなかったということ。
わかってはいたが、目の当たりにすると少し胸が痛む。
告げなければ、こんな風に胸が痛むこともなかったかもしれない。
「好きだよ」
だけど、もう一度、驚いたような表情で動きを止めている三蔵に告げて、悟空は目を閉じた。
これで最後。
そう思ったから。
もうそばにはいられないだろう。そばにいても良い理由は全て失われたのだから。
だとしたら、ちゃんと告げておきたかった。たとえ、撥ねつけられるのはわかっていても。
不思議と悲しみは湧いてこなかった。
先ほどまでずっと悲しいと感じていた心も、胸の痛みもどこかに遠のいていった。
ただ静かな感じがした。
これが三蔵に残す最後の言葉ならば悪くない。
そう思った。
だが、不意に唇に柔らかな感触を覚えた。
驚いて目を開ける。
至近距離に。
あまりに近すぎて見えない位置に、三蔵の顔があった。
何が何だかわからなかった。
「さ……ん……」
名前を呼ぼうとした。でも、唇を塞がれていては言葉を発することはできない。
キス――?
そこでようやくキスされていることがわかった。
何で?
深く重なってくる唇に、悟空は驚いて身を捩った。
「や……」
両手で三蔵を押し退ける。
「お前、さっき言っていたことは嘘か」
そんな悟空の態度に、三蔵は眉を寄せ幾分不機嫌そうに言うが、嘘ではないことはわかっている。
あの状況で、嘘を言う必要はないし、だいたい嘘がつけるような性格をしていないのだ、この小猿は。
一体何を気にしているのだろう。
三蔵が問い質そうとしたとき、悟空の目から涙が零れ落ちた。
透明な涙の雫。
「何故、泣く? 嫌だったのか?」
悟空は首を横に振った。
「ちが……」
さっきまで静かだった心に、悲しみが押し寄せてくる。
三蔵は悪くない。
それはわかっている。
だけど。
「誰でも一緒なのは……辛い……。俺は、好きだから……。こんなに好き、だから」
言葉に出して言われなかった頃はまだ夢を見ていられた。
でも、もう知ってしまったから――。
「だから、それはお前に言った言葉じゃねぇよ」
言葉とともに抱きしめられた。
「ただ抱くだけならキスなんてしねぇし」
柔らかなキスが降ってくる。軽く、唇を啄ばんでいくキス。
優しく触れるキスは、悟空が大好きだったもの。
強請れば、必ず与えてくれた。
「準備に時間なんてかけねぇよ」
いつでもその手は優しかった。
一番最初のすごく苦しかったときでさえ。激情に流されているときでさえ。
「こう言えば良かったか? お前以外は誰でも一緒だ」
繰り返すキスの合間に三蔵が囁いた。
ただされるまま、思考力を奪われてキスを受けていた悟空は、夢うつつでその言葉を聞いていたが、はっとして閉じていた目を開けた。
「三蔵、今の、も一回」
「二回も言うわけねぇだろ」
意地悪な口調に、反射的に悟空の表情がむっとしたものになる。
それを楽しそうに見つめ、三蔵は悟空の頬を両手で包み込んだ。
「触れなかったのは、寺院の外の世界を知ったお前が嫌がると思ったからだ。これが普通ではないことが、もうわかっただろう。だが、それでもいいと言うのならば、もう放すつもりはない」
「三蔵」
至近距離で見つめあう金と紫の瞳。
ゆっくりと、悟空が三蔵の方にと手を伸ばしてきた。途中で止められるのを恐れるかのようにゆっくりと。
何をするつもりかはわからなかったが、三蔵は黙ってそれを見守っていた。
やがて、悟空の手が三蔵の髪に触れた。
手触りを確かめるように、指を滑らせる。
不意に、悟空は笑みを浮かべた。
無邪気な嬉しそうな笑みを。
「悟空」
囁いて、三蔵は悟空を抱き寄せた。
半身を起こして煙草を吸う三蔵に、もぞもぞと悟空が擦り寄ってきた。
「大丈夫か?」
くしゃりと髪をかきますと、悟空がくすぐったそうな笑みを浮かべた。
「平気」
悟空の体が本調子ではないことは承知していたが、止めることはできなかった。
久しぶりに抱いたその体は覚えているままで、知ってはいたが誰も触れていないことに安堵した。
「こんなに簡単なら、もっと早く言えば良かった。好きだって」
見上げる悟空の髪をもう一度かきまわす。
「お互いさまだろ」
三蔵も確かめるのが怖かったのだ。
寺院の外に出て、『普通』がどんなものかを知った悟空に。
今までの関係がそのままで良いのかどうかを。
「でも、もう大丈夫」
もう一度、すりっと頬を摺り寄せて、悟空は満ち足りた安心に身を浸して目を閉じた。
「ずっと一緒だよ」
「あぁ」
ゆっくりと髪を梳くように頭を撫でる。
やがて穏やかな寝息をたてて、悟空が眠りについても。
拾ってきたときから変わらないあどけない寝顔を見つめる。
それから、吸っていた煙草を地面に押しつけて消した。
悟空の隣に横になり、三蔵は、自分の腕の中に華奢な体を引き寄せた。
戻ってきた八戒と悟浄に何を言われるかはわかならないが、別にどうでもいいかと思う。
今はただこの存在を腕の中に感じていたかった。
目を閉じると、悟空の寝息に誘われるように、心地よい眠りに包み込まれていく。
きっと、目覚めたときに一番最初に目に入るのは。
この世で一番愛しい存在――。