序曲〜prelude (8)
悟空が、びっくりしたように、腕を掴んでくるのが三蔵にはわかった。
「いくら口下手だからと言って、何も言ってあげないのはどうかと思いますよ」
のほほんとした口調とともに、姿を現した人物。
「お養父さん」
「……え?」
三蔵の呼びかけに悟空は顔を上げ、それから自分が三蔵の腕の中にいるのだということに改めて気付いたようで、その腕から抜け出そうとする。が、強く抱きしめられていて、身動きもままならない。
「どうして、ここに?」
悟空の動きは無視するように、三蔵が問いかける。
「あなたが、お嫁さんを貰うと聞いたので、急いで帰ってきたのに、ウチには誰もいらっしゃらなかったので、こちらから出向いてみようと思ったんですが」
「誰に聞いたんです?」
「ここの場所ですか? もともと知ってましたよ。悟空君のこともね。ここはよく利用するんで」
「あ……」
にこにこと笑顔を浮かべる顔を見て、悟空がはっとしたような表情を見せた。
「本当に知ってるのか?」
問いかける三蔵に、悟空はコクリと頷いた。
「よく来るお客さん。名前までは知らないけど……」
「光明、と申します。末長くよろしくお願いいたします」
「こちらこそ……」
なんだか場違いにも挨拶を交わす二人に、三蔵の眉間に皺が寄った。
「とにかく、ちゃんと悟空君を連れ帰ってくださいね。すぐに実家に帰られてしまうような不肖の息子は持った覚えがないですから」
「お養父さんっ!」
三蔵の叫びもむなしく、ひらひらと手を振って光明が退場した。
「まったく、何をしにきたんだか……」
だが、光明のおかげで深刻な雰囲気は消し飛んでいた。
もしかしたら、出てくるタイミングを計っていたのかもしれない。
三蔵は軽くため息をついた。
「あの……三蔵」
と、腕のなかで、悟空が困ったような声をあげた。
「離して……?」
「あぁ」
ずっと腕の中に閉じ込めっぱなしだったことに気づき、三蔵は悟空にと視線を落とした。
「三蔵っ」
やっと離してくれるのかと悟空は思ったのだが、逆にもっと強く抱きしめられ、驚きの声をあげる。
「手を離すとまたどこかに行っちまうかもしれないからな」
まだ残っている涙の跡に唇を寄せる。
「何も言わなかったのは、悪かった。でもな、伊達や酔狂では触れない」
「さ……んぞ」
「言葉が欲しいのか? だったら、一生、ここにいろ。ここに――俺のそばに」
三蔵の言葉に悟空は大きく目を見開き、ついで泣き笑いにも似た表情を浮かべた。
それに、柔らかく唇を重ねる。
そっと唇を離すと、頼りなげな色を浮かべる金色の瞳が揺れていた。
「まだ不安か?」
問いかけると、ふるふると首が横に振られた。
一瞬、悟空の手が上にとあがり、それから降ろされる。
「どうした?」
その手を掴むと、悟空は困惑したかのような表情を浮かべた。
「お前、な。言わなきゃ、わかんないんだろ?」
三蔵の言葉に、悟空の目が再度、見開かれる。
じっと三蔵が見ていると、ポツリと悟空が呟いた。
「……触れたい、と思った。もっと、触れたいって」
悟空の言葉に、三蔵が悟空を抱き寄せた。
「触れたきゃ、触れればいいだろうが。何を迷う?」
「でも……」
「お前の好きなようにすればいい。嫌なことには嫌だというが、だからと言って、それだけでお前を嫌うことはない」
悟空は言われた言葉の意味を考えるように、目を何度か瞬いた。
「お前のことをいらないと思うことなんて、絶対にねぇと言ってる」
驚いたような表情を浮かべ、それが泣き顔に変わりそうになった悟空の額に、三蔵はキスを落とした。
「……行くぞ」
笑みにと変わった表情に、肩を抱きかかえるようにして歩き出す。
「どこへ?」
「家、だよ。聞いたろ? 連れ帰ってこいって言っていたのを。あれで、養父はわがままだから、連れ帰らなかったら、何を言われるかわからないし」
三蔵が悟空を見下ろす。
「第一、どこにも帰す気もない」
「三蔵」
悟空が足を止めた。
「あの……ね。帰る前にひとつだけ、いい?」
そっと伺うように、三蔵を見上げる。
「……も、一回、キスしてって言っても……怒らない?」
ふっと三蔵は笑みを浮かべた。
「怒るわけねぇだろ」
そして、誘うような桜色の唇にキスを落とした。
□ ■ □
それからしばらくして発売された《ou topos》のメジャーデビュー後の初アルバムは、ほとんど無名の新人にしては、異例の枚数を売り上げた。
アルバムのなかに収録されていた曲で、他の収録曲とも、インディーズ時代とも、赴きの違う美しい旋律の曲は特に人気が高く、シングルカットされ、のちにCMにも使われた。
その曲の作曲者の名前は不明だったが、ほどなくして、ライブでしか歌われることのない《The Sky》のピアノ・ソロバージョンのアレンジをした人間と同一人物であるという噂が流れた。
そして、その噂の少年が、正式に《ou topos》に加入するのは、さらに数年の後のことである。
そう。
彼らの物語はまだ、始まったばかり――。