【娼館設定】
十三夜


2009年10月30日


少し欠けた月を見上げて悟空は溜息をつく。

今夜は十三夜。
月が綺麗に出ているというのに――あのひとは来ない。

「やく……そく……」

したのに。
そう考え、ふるふると悟空は頭を振る。

約束はあてにならない。そんなことは知っている。
だから。
悲しくなることはない――のに。

普段なら、約束した日にその人が来なくてもこんな風に泣きたくなることはないのに。
どうしてだろう、と思う。
こんな風に、ここにいない人のことを考えるなんて。

一緒にいて楽しい人はたくさんいる。
だけど、その人達がいまなにをしているのだろう、と考えることはない。

この小さな閉ざされた世界。
ここにいるときだけ、ある存在だから。

ここだけが自分の世界で。
ここ以外の世界があることなんて意識したこともなかったのに。

「さ……んぞ」

初めて呟いた名前に、零れ落ちたのは透明な滴――涙。

だが、悟空は自分が泣いていることを意識してはいなかった。
意識する前に不意に。
なにかが感覚をかすめていく。

悟空はぱっと立ち上がった。





パタパタと急ぎ足で廊下を進んでいく。
扉を開けると。
明かりが抑えられた薄暗い部屋のなか、光輝くような姿があった。

「三蔵」

ふわりと悟空は抱きつく。
そのままぎゅっと抱きついて、どんなに待っていたのかを伝えようとするが、言葉にならない。

「……悪ぃ」

呟くような声がして、頭の上に唇が下りてくる。
それで自分の気持ちが伝わったとわかって悟空は安心して三蔵に身を委ねる。
と。

「もういい」

頭のうえで三蔵の声がしたが、それは自分に向けられたものではなかった。
不思議に思って悟空が顔をあげると、少し驚いたような顔をしている少年に幾許かの金を手渡している三蔵の姿が目に入った。
それまで悟空の目にはまったく入っていなかったが、三蔵をこの部屋まで案内してきた少年だろう。

普通、こんな風に悟空が飛び込んでくることはない。
客が部屋に通されてから、悟空が呼ばれる。呼ばれてから、ゆっくりと決して急ぐことなく悟空は部屋に向かう。
それがいつもの習慣だ。

それを無視した悟空の行動に驚いたとしても少年は一瞬で表情を消し、軽く一礼するとなにも言わずに静かに部屋から出ていく。
パタン、と扉の閉まる音がする。

「……ごめんなさい」
「なにを謝る? あぁ、さっきの作法のことか?」

クスリ、と面白そうに三蔵が笑う。

「違う。……ううん、それもあるけど、でも」
悟空はそっと三蔵の頬に手を添える。

「無理させた?」

いつも以上に疲れた顔をしている。

「お前のせいじゃねぇよ」

柔らかく抱きしめられる。
その心地よさに、悟空は微かに笑みを浮かべる。

と、頬に唇が押し当てられた。頬から目尻へと移動していく。
それで、あ、と思う。

涙――?

ひどく不思議な気がする。
なんで泣いていたのだろう。この人はここにいるのに。

まっすぐに悟空は三蔵を見つめる。
すると、ふっと紫の瞳が揺らいだ。

「……少しだけ先に眠らせてくれ」

覆いかぶさるように抱きしめられる。
たぶんもう限界まで疲れているのだろう。
どうしてこんな――。

「いいよ」

悟空は三蔵の腕を掴んで、寝室へと導く。

「朝までゆっくり眠っていって。俺は、あなたが来てくれただけでいい」

――約束を守ってくれたから。

満ちてくる温かな思いに、悟空は柔らかな笑みを浮かべた。


(memo)
 「十五夜」の続きです。