02:記念日


午後の授業をサボって家に帰ってきた三蔵は、いつもならば飛んでくる悟空の姿がないことに違和感を覚えた。が、すぐに悟空が家にいるはずのない時間だということに気付く。
大学は郊外にあって、家からは優に二時間くらいかかるのだが、それでも昼に出てきたのだから、高校生の悟空が帰ってくるには早い時間だ。
三蔵はふっと肩から力を抜いて、居間のソファに腰をおろした。
そんなことも考えずに一直線に家に帰ってくるなんて、どうやら思っていたよりも動揺していたらしいことに気づく。
それに落ち着いて考えてみれば、悟空もこの春から高校生になったのだし、彼女の一人や二人、いてもおかしくはないのだ。
もともと人懐っこくて、だれからも――少々ひねた連中からも好かれる質だし、男女問わず友達もたくさんいて、人気もあるのだから。
三蔵が人嫌いのせいか、家に友人を呼ぶことはないが、よく遊びに出ているのでそれはわかる。
三蔵は居間のソファに腰をおろすと、ポケットから煙草とライターを取り出した。
火をつけようとして、ふとそれが悟空からプレゼントされたものだと思い出した。
去年、まだ中学生だった悟空が遠縁の家で家事全般を引き受けて貰った小遣いで買ってくれたものだ。
家事手伝いに行くとは聞いていたが、そんなバイト紛いのことだとは三蔵は知らず、知ってから『欲しいものがあるなら買ってやる』といってやめさせようとしたのだが、悟空は頑として聞かなかった。
なにがそんなに欲しいのか、と思っていたのだが、蓋を開けてみれば、このライターで。
限定もので、三蔵に似合うと思ったから、と言われたときにはなんともいえない気持ちがしたものだ。
だが。
これからはそれも少しずつ変わっていくのかもしれない。
彼女ができたのならば、バイトして買うのは彼女のものになるのだろう。
そうやって少しずつ離れていく――。
当り前のことだ。
当たり前のことなのに――。
どうしてだが胸のあたりがざわざわする。
そんなことを考えながら、火を点けていない煙草を見るとはなしに見ていたところ。
「あれ? 三蔵?」
悟空の声がした。
「なんでこんな早く家にいるの?」
振り返ると、両手にさげていたスーパーの袋をおろす悟空の姿があった。
「お前こそ、どうした?」
少し驚いて三蔵が言う。授業が終わってまっすぐ帰るにしても、まだ早い時間のはずだ。
「えっと……。今日はトクベツだから、ちょっと早く帰ってきた」
「……サボリか?」
聞くと悟空はバツの悪そうな表情をし、次いで拗ねたような顔になる。
「三蔵だってサボリだろ? 今日は遅くなるって言ってたじゃん」
それに対しての反論はできない。
「でも、ってことは覚えてた?」
「あ?」
いきなりにこにこと悟空が問いかけてきたので、三蔵は眉間に皺を寄せる。
「なんだ、覚えてたわけじゃないのか」
「なんの話だ?」
「今日は結婚記念日じゃん」
その言葉に三蔵は眉間の皺を深くした。
「……あのな、前も言ったが、結婚記念日は当人たちがいないのに祝っても意味がないと思うぞ」
悟空のいう結婚記念日は、三蔵と悟空の両親の結婚記念日のことだ。
ふたりは三年前に亡くなったのだが、なぜか悟空はその結婚記念日を祝い続けていた。
「だってふたりともチョー仲良かったじゃん。絶対、天国でも祝ってると思うぞ」
去年も一昨年もそういって。
「だったらふたりが天国で祝えばいいだろうが。だいたい俺らが祝うものじゃねぇだろ」
亡くなって一年目は両親が恋しいのだし、そんなこともするのだろうと思った。二年目も異議は唱えたが、まぁ、好きにさせた。
だが、もう三年もたつ。
そろそろ前を見なくてはならない。
三蔵はそう言おうとしたが、その前に悟空が口を開いた。
「でもな、ふたりが結婚しなかったら、俺らはここにいなかったということだろ? だったら今日は三蔵に出会えた記念日でもあるんだよ」
そう言ってにっこりと笑う悟空に、三蔵の言葉は形になることはなかった。