39:一番欲しかったもの


「三蔵」
悟空はまるで縋るように三蔵に身を寄せ、ぎゅっと抱きついた。
「三蔵」
あそこから出してくれたのは三蔵だった。
呼んでくれた。
あの暗いところから解放してくれた。
だけど――。
温かな腕のなか、離れたくないと思いつつも――。
「悟空?」
悟空はそっと三蔵を押す。
「ごめん……。ごめんなさい」
「なにを謝る?」
「俺がきっと父さんと母さんを――」
口に出すのが辛い。
涙があふれ出してくる。
だが、自分のせいなのだから、泣いて良いものではないだろう。
悟空は唇をかみしめて、涙を止めようとする。
「なにを馬鹿なことを。んなこと、あるわけねぇだろ。あれは事故だ」
ふわり、と優しく抱き寄せられた。
「違う。きっと俺のせいだ。俺は不幸をもたらす者だから――」
このままではダメだ。
このままではきっと三蔵に甘えてしまう。
悟空は腕のなかから抜け出そうともがく。が、意外にも腕の力が強くて抜け出せない。
「だから、そんなこと、あるわけねぇって言ってるだろうが」
「でもっ。そういう言い伝えがたくさん残っているし、それに、この拳銃」
いつの間にか足元に落ちていた拳銃に目を向ける。
「おれがなにかしたときのために――」
「違う」
短い否定の言葉とともに、不意に力強く抱きしめられた。
「それはお前を守るためのものだ」
「……え?」
急に思ってもみないことを言われ、悟空の動きが止まった。
「父さんの書きつけを見たんだな」
「三蔵……あれを知って……? それに拳銃も……?」
ノートも拳銃もクローゼットの奥深くに隠されていた。てっきり三蔵は知らないものだと思っていたが。
「確かに父さんは、お前に関することをいろいろと調べたらしい。だが、それはお前を疑ってのことではなくて、お前というものを知ろうとして、だ。あの人は良くも悪くも研究者だからな。だが、そんな父さんでも、結局、お前というものがなんなのか、本当のことはわからなかった。不幸をもたらすとか、ただの言い伝えだ。事実はなにひとつでてこなかったのだから。ただ、伝説を鵜呑みにしてお前を害するものが現れるかもしれない。なかにはなにをするかわからないものもいるかもしれない。その拳銃は、そういう連中に向けてのものだ。つまりはお前を守るためのものだ」
「俺を……守る……? でも、俺は……俺のなかには……」
「なにかがいるかもしれない、か?」
「三蔵、それも知って――……」
「お前と最初に会ったときに――この祠で、最初に会ったときに見た」
「三蔵……覚えて……る、の?」
あんな小さな頃のことなのに。
「覚えているに決まっているだろう。俺がお前を呼んだんだから」
さきほどと同じ言葉。
悟空は大きく目を見開いて三蔵を見つめる。
「だが、俺が呼んだのは『お前』だ。お前のなかの、伝説を作り出すような力を持つ存在ではなく、小さくなって泣いていた、お前だ」
「さん……ぞ」
「俺がお前を呼んだ。だからな、お前が不幸をもたらすというのなら、それはお前のせいではなくて、俺のせいだ」
「なに言って――。どうして三蔵のせいになるの? 三蔵はなにも悪くないじゃないか――っ」
「そうだな。そして、それはお前もそうだ」
ぽんぽん、と宥めるように軽く頭を撫でられる。
「お前がなにをした? なにもしてねぇだろうが」
「でも……」
「お前はお前だ。得体のしれないものでなく――」
じっと、見つめてくる紫暗の瞳。
「だいたいな、俺には最初からお前しか見えていなかった。お前だからこそ、こっちに呼んだんだ。母さんとも約束した。ずっと大切にする、と。その言葉に偽りはねぇよ」
柔らかく抱きしめられる。
その腕のなかは安心できて――。
「三蔵」
自分が不幸をもたらす者ではない――。
三蔵の言ってくれたことをすべて鵜呑みにしたわけではない。
現にここに封印されていたのは紛れもない自分なのだし、あの瘴気――。
だが。
三蔵がいれば。
三蔵が信じていてくれさえいれば。
きっと、自分は自分のままだ。
あんな――禍々しいものにはならない。
なぜかそう確信できた。
「三蔵」
三蔵の腕のなかで、ようやく悟空は笑みを浮かべた。
それにつられるように、三蔵も柔らかな表情を見せ、そして。
軽く唇が重なる。
「――帰るぞ」
啄ばむようなキスを繰り返した後で、腕を引っ張られ、立ち上がる。
帰る――家へ。
ふたりで暮らす家へ。
「うん」
なにもかもをふっきるように悟空は大きく頷く。
そして、ふたりは一度も振り返ることなく祠を後にした。
しっかりと手を繋ぎ、前を見据えて――。


【完】