小宇宙
「悟空、熱いですから気をつけて」
「大丈夫!」
キッチンの方から仲睦まじい声が聞こえてくる。
と、三蔵の顔に、それとわからないくらいの苦微笑めいたものが浮かぶ。
だが。
「余裕だな」
なんだか精も魂も尽き果たしたという状態でソファに突っ伏していた悟浄の声で、微かな笑みは一瞬にして消える。
「気にならねぇの?」
戸を開ければキッチンの一部は見えるが、奥は壁の向こうで見えない。
いま、悟空と八戒はその見えないところでお茶の用意をしていた。
お茶というかコーヒーだが。
良い香りが漂ってくる。
「……なんの話だ?」
「あのふたり。仲が良すぎとか、そういうの」
「別に」
「小猿ちゃん、お前さんのいないときにウチに入り浸ってるって聞いても?」
「それが?」
「……なんか余裕でムカつくなぁ。躾は行き届いているから心配ないってわけ?」
「躾なんぞしてねぇよ」
ふぅ、と溜息をつくように三蔵は煙草の煙を吐き出す。
「ただ、あれが世界の中心に俺を置いてるだけだ」
「……マジ、ムカつく」
むっとした顔で悟浄が起き上がってくる。
「別にお前がムカつくことはねぇだろ。その不自然な世界が変わろうとしてるんだから」
三蔵はまた煙を吐き出した。
特殊なことを生業にしているせいか、これまでの経験のせいか。
人懐っこいところがあるくせに、悟空はあまり人と関わろうとはしない。
三蔵を除いて。
最初に拾ったときは特にそうだった。
三蔵のそばを片時も離れようとしなかった。
それが観音に慣れ、いままた悟浄と八戒に慣れつつある。
そうやって世界が広がっていくことは――。
「お待たせっ!」
元気な声とともに悟空が居間に入ってきた。
手にクッキーが山盛りになった皿を持っている。その後ろから4人分のカップを持った八戒が続く。
考えてもみれば最初は『敵』として出会ったのに、いつの間にこんな風になったのか。
「さんぞ?」
そんなことを考えていたが、ふと気づけば目の前に小首を傾げた悟空の顔があった。
「なんでもねぇよ」
手を伸ばして髪をかき混ぜるようにしてやれば、嬉しそうな笑みが浮かんだ。
悟空はにこにこと笑ったままで、隣にちょこんと座る。
――悟空の世界がどんどん広がって親しい人間がどんどん増えても、悟空のなかでは三蔵が中心だ、と思っているわけではない。
――いつかこの手を放す日がくるかもしれない。
――いや、いつか必ずこの手を放す日がくるだろう。
――それはきっと……。
――だが。
――ふたりきりの世界に閉じ込めておくことを、自分が許さないから……。
上機嫌で、まるでごろごろと懐いてくる仔猫のような悟空を見下ろし、三蔵は淡い笑みを唇の端に浮かべた。